平成17年5月8日

日本橋高島屋/美術画廊の一週間

森 紘一
4月26日(火)作品搬入日

 ときおり降りだす曇天の夕暮れ時、連休を控えたデパートはかなりの人ごみだった。待ち合わせ時間の午後4時を少しまわってしまったが、6階の画廊には誰もいなかった。やむなく御沓さんに連絡すると、1階の搬出入口だという。本館と新館をはさむ道路は大型・中型のトラックでごった返していた。賢太郎さんが懸命のハンドルさばきで車寄せをしている姿はすぐに見つかった。ネクタイをはずし腕まくりした頃には、大塚さん、御沓さんと宮川さんはすでに雨に濡れたビニールシートを外して荷物降ろしをはじめていた。作業用の運搬車を借りて、作品だけでなく脚立やジャッキーを裏口から6階まで運んだのも初めての経験だった。
 圧巻は何といっても、今回の大作、総重量400キロを越える作品「星ふる夜」だった。手作りの角材で固定した、左右120cm、上下150cm、厚さ12cmの御影石をトラックのクレーンを操作しながら手押し車に移す作業は大変だった。6階に運び上げた御影石を美術画廊の入り口に据える作業は、さらに手の込んだ共同作業が必要だった。それにしても、組み立てた足場パネルが下段は赤、上段と渡し板は青でX字の蝶番は下段が黒、上段が赤と塗りわけられていたのには驚いた。パネル上部に鉄パイプを固定し、チェーンブロックを巻きつけると、高さは天井スレスレだった。玄関口を飾った新作「星ふる夜」と「出会いそして」という大物レリーフにしても、納まってしまうとごく自然で存在感十分だった。事前の準備はさぞやと思わせる見事な計算だった。“一流画廊への作品の搬出入作業は華麗でなければならない”しかも“業者任せではだめだ”。これはどうやら、作家佐藤賢太郎の美学だったようだ。居合わせた面々は、授業が終わって駆けつけた森幹事長ともども感心してしまった。高島屋画廊の皆さんも、一連の光景を心配顔で遠巻きに見つめるだけだった。
 私事ながら、6時からはじまる帝国ホテルの某出版社のパーティに出向く気分はとうに失せていた。7時半には、“明日からよろしくお願いします”と後事を託して美術画廊をあとにすることができた。


5月1日(日)「アートと夢舞台を語る」シンポジウム 
    個展開催中に、作家の方から講演をしたいと申し入れがあったのも異例だったようだ。美術画廊の井藤部長、武藤課長のご好意で新館9階のローズサークルスタジオをお借りできたのは本当にラッキーだった。シンポジウムの案内チラシは初日から受付で配布していたが、それでも連休さなかの集客はやはり心配だった。50人は何とか集めようを合言葉に、それぞれが手を尽くすことになっていたが、午後4時からの講演会場は80名を越える予想外の盛況となった。

 大塚さんの司会進行で、初めに井藤部長から“佐藤先生とは同年齢で4年後に定年となります。50から人生面白い、という副題にひかれて楽しみにしていました”とご挨拶をいただいた。賢太郎先生も時折ユーモアーをまじえながら、郷里で仲間と展開中の夢舞台づくりの経過やアートにまつわる「ふくろう会」の活動を、スライド担当の御沓さんとのコンビで分かりやすく語りかけていった。“今年は何としても「蔵・銀河」を縄文の館として完成させたい”。賢太郎さんの結びは次第に力がこもってきた。    会場には、昨年の「里山アート展」に出展参加された間地さん、佐治さん、大島啓くんとご両親の顔も見られた。蔵・銀河(縄文の館)開きのコンサートに出演予定の土佐琵琶奏者・黒田月水さんもスケジュールをぬってご出席いただいた。最後に、昨年のシンポジウムをまとめた小冊子(「第1回縄文の風シンポジウム」−今の時代を見つめなおす)が紹介された。会場の皆さんに配り終わったところで、大塚さんから“小冊子には振込用紙が挟み込んであります。皆様のお気持ちで結構でございます。小冊子代として、あるいは「ふくろう会」への協賛金として、ぜひご利用いただきたいと思います”という絶妙な勧誘のご案内もあった。
 会の終わりに、私に方から「奥阿賀・コスモ夢舞台」実行委員会からの御礼として、“本日はありがとうございました。賢太郎先生のモノづくりの心を知っていただけたのではないでしょうか。お帰りにもう一度作品とご対面いただき、お求めいただければ幸いです。また、作家のモノづくりの原点を訪ねるという意味で、秋のツアー企画で豊実へもぜひお越し下さい。次回の個展も、作品展とトークのワンセットでお願いいたします。できれば、次回は「ふくろう会」会員に店員役をやらせていただきたい。高島屋さんに迷惑のかからない範囲で、売り上げにご協力させていただきたいのです。”といった趣旨を述べさせていただいた。

    懇親会は高島屋から徒歩5分、東京駅八重洲口寄りの居酒屋「村さ来」で行われた。予定は午後5時30分からだったが、こちらも46名の参加と大賑わいで、はじまったのは6時近かった。座敷と通路をはさんだ椅子席の大所帯に進行役の幹事長も大声だった。美術評論家・藤島先生のご挨拶と乾杯のご発声があった。“
   私も還暦を過ぎた身として、最近、アートで社会を変えられないだろうかと願っています。作家の作品はその生き様だといいます。佐藤さんの作品には以前から注目しています。これからも、その生き方をふくめて期待しています。ますますのご健勝を祈って乾杯しましょう!”ありがたいお話しだった。会場では、東京の鹿瀬会佐伯会長と賢太郎さんの郷里の皆さんが賑やかだ
った。シンポジウムの常連、厚木の岩藤さんご夫妻と高田さん、上杉さんの顔もあった。小松原高校の用務員さんご夫妻、シャンソン歌手の町田さんと琵琶奏者の黒田さん、郡山の大島さんのお友達、幹事長のケースリーダー協会のお仲間お二人、大島啓くんとご両親、お久しぶりの会員の山縣さん、SB食品の小林さんの顔も見られた。さらに「ふくろう会」のニューフェイスの皆さん(賢太郎さんの教え子の飯野さんとあだちさん、もっきん洞の渡辺さん、登山家の田部井さん)の顔も並んだ。裏方役を引き受けてくれたまき子さんの実兄の鈴木さんと奥方連中(大野さん、桐山さん、遠藤さん、時崎さん、海江田さん、森)も顔を揃えていた。
 関東一本締めでお開きとなったのは7時半近かった。外に出るといつの間に降ったのか舗道が濡れていた。教え子の若者二人を中心に賢太郎さんの胴上げ
がはじまった。「日本橋高島屋」の講演会と「居酒屋村さ来」の懇親会、この落差が実に楽しい一日だった。

5月3日(火)個展最終日
 集合時間は午後3時半だったが、売れ行きも気になって3時には6階の画廊に着いた。賢太郎さんと御沓さんは、すでにC画廊のお客様と話しこんでいた。大塚さん、鈴木さん、宮川さんも三々五々と現れた。ぐるりと会場を回ってみると、赤マークがだいぶ増えたように見える。昨日の話でも講演効果なのか、売れ行きも後半にきて伸びているという。追い込みに期待がかかっているのは雰囲気で察しがつく。次回のB画廊使用も夢ではないようだ。賢太郎さんといえばふくろうだが、今回もふくろうの彫刻は御影石も砂岩も船板つきもほぼ完売だったようだ。作品の表情が分かりやすく身近に感じられるからだろうか。
 今回の大作「星降る夜」と「出会いそして」は残念ながら買い手がつかなかったが、画廊を覗く客は一様に前から後ろに廻って、しばらくは眺めていた。床に置かれた小さなプレートを、それこそ座り込んで眼を近づけては腕組みをするパターンも多かった。作品と値段を天秤にかけて考え込んでいる様子には見えなかった。こうした抽象表現のレリーフ作品の場合は、作者の創作メッセージをもっとストレートに伝える工夫が必要ではないだろうか。例えば、「星ふる夜」の表の面に降り注ぐダビテの星がイスラム文明を象徴するのであれば、裏面の握手は世界の平和だろうか、あるいは道ならぬ男女の愛とか和解の表現だろうか。想像は限りなくひろがるが、タイトルだけでは作者の創作意図にはたどり着けない。その背景を詩文に託して表装するだけでも、見る側とのコミュニケーションは高まり心も通い、それがしいては購入動機にもなるのではないかと素人の私は考えてしまう。次回の賢太郎さんの個展では購入者の側に立って、さまざまな売るための方法を考えてみたいと思う。セールストークとは買わせるためのテクニックだけではなく、心を通わせるための手段としても必要だと思えるのだ。 
    搬出の手順は、搬入時の学習効果で比較的手際よく進んだ。4時半から始まった作業は6時半には終了した。“お疲れさまでした”、“お世話になりました”。日本橋高島屋画廊の皆さんとも明るく、“また2年後にお会いしましょう”と気軽な挨拶でお別れすることができた。(終)