2005.5.10

連休さなかの豊実の建設作業

森紘一

5月5日(木)快晴
 今年のゴールデンウィークは、好天続きで空気も明るくすがすがしい。今が盛りの石楠花が淡い紫色を横に広げて誇っている。その傍らでは、白いハナミズキも気持ちよさそうに枝を伸ばしている。手前の垣根には、絡みつくようにクレマチスの赤紫も一輪顔をだしていた。横浜の拙宅を出発したのは、早朝の6時半過ぎだったろうか。
 3日の個展終了後、翌朝には豊実に向かったという賢太郎さんたち6人組の気力には及ばないが、今回は愚妻と長距離ドライブを楽しみながらの豊実行きとなった。さしたる渋滞もなく、東北道を左に折れて磐越道に入る郡山あたりから山並みを染める緑が幾重にも光り輝いて眩しかった。次第に近づく磐梯山の白い頂とのコントラストは雄大な一大パノラマだった。那須高原のサービスエリアから御沓さんに電話を入れてから1時間半ほど、10時半前には満開の八重桜が我われを迎えてくれた。「和彩館」と母屋のまわりも、白とピンクの芝桜に囲まれたチューリツプと水仙のお花畑だった。豊実の春は、雪の深かった分だけ遅れてやってきたようだ。マキ子さんと久美子さんの笑顔に勧められて、ともかく温かいお茶で一服した。
  30日から豊実入りしていた大野さんと賢太郎さんの姿が見えなかった。聞けば新発田まで建材を引き取りに出向いたという。賢太郎さん、大野さんと一緒に現れた株式会社夢ハウスの山田さんは、その後も満載した真柱や壁板、レンガタイルやドアー等を運び込んでくださった。お陰さまで、無償提供の材料が「石夢工房」に山積されてくると、気持ちまで豊かになったような気がしてくる。夢舞台の建設に大きな味方ができたことはうれしい限りだ。
 母屋横の六畳ふた間ほどのスペースには、豪雪にも耐えられそうな太めの丸太が組まれていた。電気配線が本職の加藤さんの協力で大野さんたちと立ち上げたそうだ。明りとりのある屋根にはコンパネが張られ、ブルーのトタンを英夫さんと御沓さんが打ち据えていた。桐山さん、大塚さんも協力して屋根部分は、先発組が帰るまでにはほぼ完了した。大野さんの指示で柱にタルキを打ちつけ、床にコンパネを張り、外装を雨戸やコンパネで仮止めしてみると、母屋から続く空間に賢太郎さんのお母さんも驚くほどの物置場ができあがった。蔵に収まっている年代物には格好の収納場所となりそうだ。
 7人そろって久しぶりの赤湯で汗を流し、食卓を囲んだ。話題は高島屋の個展と講演会から始まって、「蔵・銀河」(縄文の館)の内装、秋のシンポジウム、里山アート展とつきなかった。これからは、建物などのハードと併せていよいよ動き始める「奥阿賀・コスモ夢舞台」のソフトの充実を図っていこうということで一致した。情報発信のためのHP、お客様をご案内するルートづくりや「和彩館」での食のおもてなし方法など、役割分担をふくめてテーマはつきない。そのためにも、ふくろう会全員の意志の結集は欠かせないというところで落ち着いた。


 5月6日(金)晴れ

 ゴミを出して戻る道すがら賢太郎さんと「和彩館」の横壁を見ると、ストーブの煙突が見えるだけで確かに寂しい。津川方面からクルマで和彩館を通り過ぎてしまった、とよく耳にする話だ。さっそく、朝飯前の一仕事が昨年の「里山アート展」に出展された斉藤見志さんの作品「領域」の取り付け作業ではじまった。「和彩館」のホールの道路側には、すでに2枚のガラスの引き戸で出入り口ができ、正面の壁には赤い鉄製の丸いオブジェが架けられている。その入口には、3日前まで高島屋の個展会場を飾った「出会いそして」という御影石のレリーフがデンと据えられていた。遠藤さんの写真展を開催中でもあり、ここを「ぎゃらりー和彩館」と呼ぼうという賢太郎さんの発案も素直に頷けるたたずまいだった。
 朝食後、「石夢工房」に建材等の廃材を燃やしに出かけた。整理整頓、環境整備はアートとハートの夢舞台づくりをめざす「ふくろう会」のモットーでもある。その後、昨年の秋以来ご無沙汰の「悠々亭」に足を延ばした。囲炉裏に火をたきながら、懐かしさとともに新緑につつまれた周囲の静けさをやぶる川音の激しさにびっくりした。そういえば、同じ東屋でも「滔々亭」から臨む阿賀野川は、緑色を帯びた乳白色の雪解け水がたわわで波もなく静かだった。この動と静の東屋をステージとして使い分けるイベントの演出も、これからの「ふくろう会」にとっては大きな課題となりそうだ。「滔々亭」の囲炉裏にあたりながら、“いずれここは、冬場の利用を考えて窓をつけないとまずいね”。ふと、もらした賢太郎さんの思惑も、絶えず先へ先へと進んでいるようだ。
 「ふくろう会館&ギャラリー」の庭に配した鳥獣戯画の動物たちとも、昨年12月以来のご対面だった。この新名所に高島屋の個展の大作「星ふる夜」も堂々と加わっていた。ここを訪れる人々は、まず屋外の展示物に“なぜ、こんなところに?”と驚くことだろう。そこでは、分かりやすい適切なガイドが必要となる。そのパンフレットづくりや語り役をどう育てるかも次なるテーマだ。
 2時半過ぎに、一週間ぶりに自宅へ戻った大野さんから賢太郎さんに電話が入った。母屋横に作った物置場の丸太柱と屋根組みを固定していなかったようだという。絶えず豊実の夢舞台を考え続けている棟梁には、本当に頭が下がる。
 夕方、マキ子さんを残して5人で赤湯へ行った。珍しく客足は少なく、ゆったりと湯船に浸ることができた。今日が誕生日というマキ子さんの祝いの席には、漆塗りの酒器が用意された。賢太郎さんが注ぐ菊正宗にマキ子さんの笑顔が弾んでいた。ここのところ、HP用に「和彩館」の料理を撮りまくっていた御沓さんも記念のツーショットにレンズをむけていた。昨年10月の「和彩館」オープンから店主マキ子さんは多忙をきわめている。4月の営業開始以来、徳沢の伊藤キヨ子さんのアシストがあったとはいえ、地元の人々との交流をふくめて孤軍奮闘の大活躍だった。マキ子さんなくして夢舞台の建設は成り立たない。同席した御沓さん夫妻と我われも、賢太郎さんにならって感謝をこめて盃に酒を注いだ。“今ここに、こうしていることが信じられない”マキ子さんのひと言が印象的だった。

 5月7日(土)雨
 昨夜来の雨は止む気配もなく、冷たく降りそそいでいた。母屋横の仮止めした物置場が雨漏りしているという。早朝から賢太郎さん、御沓さんと補修作業に入った。どうやら、トタン屋根の接続部分ではなく母屋側の外した樋の先端が屋根口にかかっていたのが原因だったようだ。水漏れは間もなくとまったが、床板のコンパネをはずして乾かすことになった。
 朝食時に、蓮田からマキ子さんのお友達ふたりが訪ねてくるとの連絡があった。大宮から新幹線で新潟経由、磐越西線を利用すると7時スタートで11時前には豊実着となる。昼食を楽しんでゆっくりと周辺を散策後、4時過ぎの豊実発で十分日帰りが可能となる。我われも、クルマだけでなくJRを利用した日帰りコースの紹介なども積極的に展開していく必要がありそうだ。
 「石夢工房」に届いた数点のドアーは、どれも2.20m以上の大型だったが把手が付いていなかった。桐のドアーに付いた把手をはずしてこれを付けようと、これも大型の桐無垢の姿見と一緒に賢太郎さんと「和彩館」に運び込んだ。素材は松であろうと思われる重いドアーの上下をそれぞれ10cm以上鋸でカットした。これが、なかなかの重労働だった。御沓さんと三人で吹き付ける雨の中、悪戦苦闘の末に雨風と雪で色あせていた「和彩館」の玄関ドアーを新品と取り替えることができた。楕円のガラスをはめ込んだモダンなドアーが中央におさまると、左右のレンガタイルとのバランスも良く、「ぎゃらりー和彩館」が見違えるほど明るくなった。こうなると、渡部憲一さんの作品「夢を追う男」と「兆候」は外へ設置しようということになった。2点の大作は昨年の「里山アート展」会場へ運び出し、洗面所前とストーブ周辺を片づけると、「ぎゃらりー和彩館」の空間はさらにアート会場らしく、様になってきた。ますます夢の膨らむ3日間だった。後は、明日からの海江田さんに託すことになった。

 5月8日(日)晴れ
 7時過ぎには御沓さん夫妻と豊実を出発した。賢太郎さんとマキ子さん、賢太郎さんのご両親とも“7月にまたお邪魔します”と明るいお別れだった。