2006.09.02
ギリシャ奮戦記・報告会

「ギリシャ奮戦記・報告会」が西会津国際芸術村の報告会に続き、埼玉県うらわ市の浦和ワシントンホテル・プリズムローズで開催された。
ふくろう会のイベントとしては、かつてないほどの驚くような素晴らしい会場である。
総勢70名近くの参加者があり、慌てて、予備の椅子を出すような状況であった。

最初に、佐藤さんのギリシャ行きの推薦をしてくださったEUジャパンフェスト日本委員会(以下「EUジャパン」と略す)事務局長のKさんが紹介された後、本題に入る。
パワーポイント(スライド)の使い方も大分、なれてきた佐藤さん、先ず、EUジャパンから推薦されたプロセスから始まり、何も分からない、知らされないまま、ギリシャへ旅立った経緯を語る。

芸術・文化をもって国際親善をはかることが自分の今回の使命であると心に決めた彼の信念は固かったが、現地ギリシャの計画より1ヶ月早く着き過ぎたこともあって、数々の難問が立ちはだかる。
ただし、悪いことばかりではない。作家が佐藤さんだけということもあって、美術に大変関心を持っている副市長のリオシス氏が殆ど付きっ切りで、1ヶ月間お世話をしてくださったという。

通訳もいない。覚えて行った12個のギリシャ語とお互いの共通語が片言の英語だけという中にあって、コミュニケーションをとらなければならない。

先ず、何を創るかというモチーフの点から、食い違っていた。侃々諤々の議論の末、1万年もの間、平和が続いた日本の縄文時代の使者(女性)がメッセージを携え、海を泳いでギリシャに着いたところ人魚になっていたというモチーフで決着。リオシス氏はストーリ―性のある豊かな発想に満足すると共に、この時点で佐藤さんの中に、詩人としての才能をも見出したようだ。

作品のデザインは決まったが、肝心の材料(大理石)が届かない。明日、明日という言葉を信じて待つこと10日間。ギリシャ人のいう「明日ね」という言葉の意味が日本人とは違って、必ずしも守られるものではないと気づいたが、自分は日本を代表する親善大使として作品を創って帰るという約束は守ろうと改めて、決意したという。

その間、彼は世界で一番美人が多いというギリシャの避暑地のビーチへ行って、水着の女性を作家としての目で?観察していた。その成果が遺憾なく発揮されているように見えるのは、筆者だけの主観だろうか。過去の作品をご参考までに
           
  http://www7a.biglobe.ne.jp/~kentaro/sakukokyo.html

日本とギリシャの違いについて語る。日本とは比べ物にならないくらい青く明るいイオニア海の空と海、その分、日差しも強くサングラスなしではいられないこと。
朝は8時頃から始まり、地元の普通の人は、朝食を摂らないという。昼食の後、午睡に入り、6時頃から仕事が始まる。夜の9時くらいまで明るいため、すべてが夜型の生活である。夕食は9時から11時くらいに済ませ、飲んで楽しんで、ホテルに帰るのが、夜中の1〜2時、それから日本へ向けて毎日手紙を書いたという。

10日遅れでやっと大理石が到着したものの、準備されたものは壊れたフォークリフトや道具類。そのために車で引張ったり、人力に頼るといった作業の進め方で果たして期限までにできるのかどうか。そんな不安の中で、佐藤さんは、気候や風土といった自然環境が生み出す気質や習慣の違いを知り、すべてを容認して受け入れることにしたという。        
EUジャパンのKさんから唯一言われていた“くれぐれも日本でのように、シャカリキになって働き過ぎないように”という意味は分かってきたが作品を期限までに完成させるためには、一心不乱に働かざるをえなかったという。

一方、限られた時間と言葉の不自由さの中で、何をしたら話題提供になるかと常に考えるサービス精神と好奇心が相俟って、副市長初めその家族、レストランのオーナーや家族、従業員、ビーチで働くアルバイトの女の子、魚屋さん一家、タクシーの運転手とその彼女とまで、コミュニケーションをとってきた経過が語られる。

約束の期限どおり、また、パルキ港という最高の場所に設置され、「融合」と名づけられた作品。その前でリオシス氏と共にしっかりと握手する姿は、共に流した汗への感謝と喜び、これからも続く交流を誓い合っているのだろうか。イオニア海と空に映えてまぶしい。

旺盛な彼の意欲はそれだけにとどまらなかった。アテネを観光する予定の時間を割いて、辺鄙なところにある日本大使館へ向かい、日本の一民間人が立派に交流と作品を残し、親善の役目を果たしてきたので見てきて欲しいとお願いしたという。官僚に何処まで通じたかはどうでも良い。天晴れというしかない行動力である。

最後にこれからの展望について語られた。
この貴重な体験を講演やシンポジウムの形を通して広く伝える。
また、本として出版することを計画していること。


  http://www7a.biglobe.ne.jp/~kentaro/greecehonyoyaku.html

近々では、10月29日(日)、日本にいる外国人と新潟県・豊実という田舎にいながらコスモ夢舞台の施設を活用して、「田舎で世界の人々と語り合う」場を企画していること。

   http://www7a.biglobe.ne.jp/~kentaro/toyomiiventyotei060902.html
   
さらに、この場所で芸術・文化を通して子どもたちに体験学習をして行くということで締めくくられた。

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2部の懇親会は予想を超えて、50名の方にお集いいただいた。
司会は自ら買って出た「ふくろう会」のOさんである。聞くところによれば、懇親会にもテーマがあって、今回は「変化」だという。
先ず、仙台から駆けつけたとおっしゃる、佐藤さんの大学時代のラグビー部の友人代表Nさんが乾杯の発声をされた。

ご挨拶の最初は、なんと言っても佐藤さんのギリシャ行きの推薦をしてくださったEUジャパンKさんである。
先ず、2度の世界大戦の切っ掛けになったヨーロッパにおいて平和を願う「欧州文化首都」の制度ができたこと。そことのパートナーという関係をとりながら、「文化や芸術を通して、一人一人が生きることを見つめ、考えることに繋がる」活動を目指しているNGO組織であること。
親交のある奥会津書房の編集長からの推薦を受け、自らが豊実に足を運び、コスモ夢舞台が「欧州文化首都」と全く同じ動きをしていることをご自分の目で確かめられたことを熱く語られた。

      http://www.eu-japanfest.org/

次は、精神修養の勉強をされた朝起会の先輩Sさんが、ご自身はふくろう会の脱落組みであるがと言いながら、夢を持って生きることの大切さを熱く語り、これからも共々に研鑽しあっていきたいと述べられた。

同じく、会の肝っ玉母さんで通っているMさんが紹介され、予約出版の本200冊の予約宣言をされた。

予想以上の懇親会出席者があったことと、追加注文ができずに、料理は瞬く間になくなってしまった。そこは乗りに乗っている司会者、当意即妙に、「お腹が満たされない分、皆さんの素晴らしいお話で一杯にしてください」との言葉に会場は爆笑。

挨拶は延々と続く。パーティーといえば、三々五々勝手に話をする声が騒動しく、司会者の声も、人の話も聞こえないのが普通なのだが、不思議なことに、私語一つ聞こえず、皆、一人ひとりの話に聴き入っている。
その道の先輩、友人、知人、幼馴染 共に「ケンタロウ」と呼んだ時間を共有する方々が、照れと安堵と喜びと希望、様々な思いを込めて「佐藤先生」と呼ぶ姿には、何とも言えない温かさが醸し出され、まさに「変化」を象徴する時間帯であった。

閉めに近づいた頃、佐藤さんの奥様が指名された。常に先頭を切って走る佐藤さんをフォローする奥様のご苦労は並大抵ではないと誰でも思うが、最近は地元の豊実に根付いて地域のお役に立てる喜びを語っていた。

閉めは、ふくろう会のSさん、関係者すべてへのお礼とコスモ夢舞台の三つの心(感動ある人間交流・一人一人が輝く、本物と向き合う)を忘れず邁進することを誓ってお開きとなった。

帰り際、EUジャパンのKさんがおっしゃった「お墨付きや周りの評価に頼らないで、本物を自分の目で見分けられる力。新聞やテレビ、公的機関に取上げられるかどうかではなく、自分の信じることをやり貫く意志とそうした人々のネットワークこそが大切」という言葉がとても印象的で勇気付けられた。

出席者の方のお腹は今ひとつであったかも知れないが、心は十分に満たされて帰っていかれたに違いない。(K.M