2007.3.20
東北ツーリズム大学受講日記
森紘一

平成18年度の最後を飾る福島キャンパス会津坂下(あいづばんげ)校の会場となった農村環境改善センターは、会津若松市の北西、会津坂下の町営スキー場に近い糸桜里(しおり)の湯の裏手の丘にあった。賢太郎さんの運転で10時前に豊実を出発した我われも、事前に下見をしたというマキ子さんの誘導で、無事定刻前に到着した。             
  午前11時からの開講式には、時おり春の雪が舞い散る中を27名の参加者が集まった。年齢的には50代以上が多く、男女比はほぼ半々、地元会津坂下町とその周辺地域からが大半だった。その中に、農業志望の若者や会津坂下に定住を希望する若者も含まれていた。マキ子さんは唯一の新潟代表、わたしは横浜ということで最も遠方からの参加者だった。
   10名を越すグリーンツ―リズム促進委員会と会津坂下のスタッフの方々の準備は周到で、講師陣を含めて総勢50人以上の賑やかな開講式となった。その内容も豊富で、二日間にわたり7講座、講師陣を厳選した見事なカリキュラムが組まれていた。

第一日目(17日)
<午前の部>]
  講座1 「オリエンテーション」に続いて「自分探しの旅―自己実現の社会化」
    講師 青木辰司氏(東洋大学社会学部教授・東北ツーリズム大学副学長)
  東北ツーリズム大学の誕生は2004年の7月。現在、遠野を本校に、東松島校、喜多方校、会津坂下校の各カレッジで成り立ち、全体でユニバーシティを構成している。  
  新たなツーリズムのキーワードは、日常と非日常の循環、価値の創出、生命・精神の再生、地域再生。これからの仮題として、成熟社会における地方と都市の交流と次世代への継承をあげていた。「コスモ夢舞台」のこれからのテーマとダブる部分も多く参考になった。青木先生は豊実の和彩館にも足を運び、賢太郎さんとも面識があるそうだ。個の出会いと多元的なネットワークつくりにも熱心な実践派タイプの学者さんという印象が残った。

講座2 「旅」字の成り立ち
    講師 高橋政巳氏(楽篆工房主宰)
  福島県生れで、喜多方市在住の篆刻書家高橋さんの話は深い造詣と薀蓄に溢れていた。   
  3500年前(日本の縄文後期)殷の時代に漢字は編み出されていた。象形文字は形や
自然の情景をかたどって作られた文字のことだが、そこに美しい自然や暮らしの営みを写しこみ、信仰心や人間関係における知恵、人生のあり方に対する哲学まで凝縮させて、巧みに表現している。古代人の観察眼、洞察力、デザイン力は驚嘆のほかないが、その叡智の結晶である漢字こそ、世界共通のアイコン文字といえるのです。
  飄々と、そんな漢字の素晴らしさ、美しさ、楽しさを語る高橋さんから伝わってくるのは、“感性を磨くべし”というメッセージだったような気がする。参加者全員がお土産としていただいた名前を彫りこんだ篆刻文字の木製のストラップは、思い出に残る記念品となった。ここで、午前の授業は終了した。

 
― 昼食は(会津の郷土料理T)「百姓ハウスの手づくり弁当」を味わった。素材はほとんど会津産で、コシヒカリのおにぎり、うま馬煮、菜の花のクルミ和え、干し大根の煮付け、コブ巻き、ニシンの山椒煮、ごんぼ煮、野菜巻と盛り沢山だった。食堂脇では、蕎麦うちの実演も行われていた。

<午後の部>
  講座3 「旅学を考える」宮本常一の世界
     講師 赤坂憲雄氏(東北芸術工科大学教授・福島県立博物館館長)
  公開講座ということで一般の参加者も多く、教室は2階の和室に移された。わたしの場合、講義内容と関係なく足のしびれで苦痛の1時間半だった。
  宮本常一を‘世間師’として捉えれば、その旅や生き方は、まさに我われの手本である。本来、旅は日常を離れる精神面を含む秘境探しといえる。日本の自然は、村を里山が囲み、そのむこうに野生動物の住む奥山があるという多重構造の中で文化として守られてきた。東北の自然も、二次的につくりだされたものであり、風景の美しさもつくられたものである。
  これからは、観光と文化をいかに繋げるか、地域社会の人々も自分たちのデザインで景観をつくりだしていく時代になった。とはいえネットなどを利用しながら、ひとりひとりが自分の旅を考え演出するのはまだまだこれから。ここ東北でも、ようやく成熟した大人たちへの「旅学」の提案が必要になってきたということではないでしょうか。
  赤坂教授の諭すような静かな語り口は、ズッシリと重かった。さてしかし、例えば旅とは自分にとって何だろう。再び堂々巡りがはじまってしまった。

講座4 「旅を写す」ギリシャの旅から感じる/異邦人感覚を写真でとらえる
    対談 遠藤由美子氏(奥会津書房代表)× 菅 敬浩氏(遊山窯主宰)
  賢太郎さんのギリシャ行きを推薦された遠藤さんとその事前交渉役でアマリアーダへ飛んだ菅さんの対談は、菅さんがその途上で撮ったギリシャやフィンランドの映像をスクリーンに流しながら展開された。お二人の話は、EUジャパンの事務局長古木さんとアマリアーダの副市長リオシスさんの間で約束された日本人彫刻家の受け入れ問題にも触れて、飽きなかった。ユニークなお二人の対談は、後に続く賢太郎さんの前座役も見事に果たしていただいた。

さて、いよいよ賢太郎さんの出番となった。
   講座5 体験談「ギリシャ滞在と彫刻制作」
    講師 佐藤賢太郎氏(彫刻家)

講演なれした賢太郎さんは余裕の表情で、教室は開始早々から笑いにつつまれ、文句なしのハナマルだった。ある意味では、ギリシャ一人旅であり、制作裏話であり、国際親善物語でもあったが、賢太郎さんの素朴な語り口とユーモアーは、ここでも絶賛された。「佐藤さんは、これ一本で全国講演ができますね」と、わたしに声をかける人もいたくらいだ。5月の東京の講演会が、ますます楽しみになってきた。
  午後の授業は終了となり、会場をほど近い「松林閣」に移して交流会となった。

― 松林閣で温泉に浸かりながら、賢太郎さんも明るい笑顔だった。会津坂下の竹内町長の挨拶ではじまった交流会は、賑やかで楽しい懇親の場となった。名物の馬刺しをいただきながら、はじめて口にした「亀の尾」という地酒も旨かった。最後は(会津郷土料理U)「蕎麦」で満腹となった。終了後、それぞれの農泊先に別かれた。マキ子さんは「蕎麦の里」、わたしは「遊山窯」だった。

― わたしの宿「遊山窯」は菅さんのご自宅だった。同宿した喜多方のYさん、農業希望のKさんとは、菅さんを囲んで夜遅くまで話が尽きなかった。会津坂下の土地柄やそこに住む人々の気質がおぼろげながらつかめたような気がする。出会いと交流は「コスモ夢舞台」にとっても、ますます大事なテーマとなりそうだ。

第二日目(18日)
<午前の部>
  講座6 町中歩き(越後街道を巡る)
   ナビゲーター 菅 敬浩氏降りしきる雪空のもと、立木観音前に全員が集合し心清水八幡神社まで歩いた。
 フード付きのコートが役立つとは予想外だったが、寒さは感じなかった。イザベラバードが馬で通ったという越後路をマイクロバスの窓越しに眺めながら、片門船橋から坂下町の今は廃校となった旧町立八幡小学校坂本分校に立ち寄った。菅さんのガイドはなかなかの名調子だった。町長を説き伏せてこれを修復し、工房として解放して坂下のカルチャーセンター化したいという構想には、どうやら菅さんの熱い思いが込められているようだ。多才で多感な菅さんの一面を知るおもいがして楽しかった。

講座7 ルポジュタールから見た農と旅
    講師 飯田辰彦氏(ノンフィクション作家)
前身がJTBの出版部で、その後10年以上フリーの雑誌記者の経験を持つという飯田さんの話には、穏やかな話し振りだが迫力があった。電源開発のためダムに堰きとめられた日本の川は流れていない。湖化した川の生態系は確実に狂っている。食の文化は豊かな村には育たない。自然の恵みが乏しい村にこそ、食の大切さを知った本物の文化が生まれる。記憶に残るフレーズだった。後段で話された中南米メキシコの混血文化については、もう少し突っ込んで聞きたかった。
  これからの旅は観光と文化を結び付けて考える必要がある。大人の旅人に向けては、企画やアイディアで勝負するのではなく、例えば、宿の主人が自らの哲学を前面に出して客選びをすることが必要だ。これも印象に残る言葉だった。

― 今日の昼食は(会津郷土料理V)「餅」だった。つきたての白い餅と赤い五穀餅は、それぞれあんころ、納豆、きな粉がたっぷりくるまって美味しかった。

最後に、鼎談「東北ツーリズム大学マネージメント学科をふりかえって」が予定されていたが、青木副学長の総括と参加者全員の感想コメントで終業となった。    
   “ときめきは行動に移そう。とまどいは勇気に変えよう。切なさは人への思いに繋げよう。人は誰だって悩みをもつ弱い存在。でも夢を捨てきれないのも人間。日常に疲れたら、迷わずに旅に出よう。大事な人と距離がぐっと近づく夢の世界へ。”東京ディズニーシーの宣伝コピーをもじって、冗談半分に副学長はこんなコピーを読みあげた。
  どうやら、これは本音で「命とこころを繋ぐ旅」は、東北グリーンツーリズム大学の変わらぬテーマのようだった。

閉会式では、初参加の我われも2単位の「単位認定証」をいただいた。その末尾には、“来年度も受講を継続していただくことによって、我々のネットワークがさらに深まることを希望いたします。”という東北ツーリズム大学学長と福島キャンパス会津坂下校校長の署名と印があった。
  今回の受講は、全く想定外の充実した二日間の体験学習でした。参加者の感想コメントでも述べたことですが、コスモ夢舞台のふくろう会員もこうした機会をできるだけ利用して交流の輪を広げ、相互乗り入れをしていくことが大切だと思います。              
  この貴重な体験を皆さんと共有して、これからのコスモ夢舞台の運営や広報活動に生かしていきたいと考えています。
  長いレポートになってしまいましたが、ご一読いただきありがとうございました。                                                                                                (終)