2014.02.09
杉原千畝を知る機会
佐藤賢太郎

先日、テレビを見ていると杉原千畝(すぎはらちうね)のドキュメントをやっていた。 

2009年6月、私はリトアニア第2の都市カウナスに行きました。そこは戦時中、ヨーロッパの情勢を探るため、リトアニア大使として杉原千畝が赴任していたところ。当時日本はドイツと同盟を結んでいた。そにもかかわらず彼はドイツのナチスの迫害からユダヤ人を守るために、とうじ本国では肯定的でなかった、日本経由のビザを不眠不休で発給した。EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木修治事務局長と案内を頂き、原杉千畝大使の執務していた視察致しました。(この点を私の感じたことをホームページに掲載したところクレームがついたことがあったのでこれ以上踏み込まないことにします。) 

将来の日本の国益やユダヤ人を救う人道面から決断した杉原千畝は、いかに大変な苦悩であったか察するにあまりある。本当に偉い外交官であった。私は現地に行った体験があり、テレビのドキュメントを感慨深く見ていた。 

EU・ジャパンフェスト日本委員会との出会いがなかったら、カウナスには先ず行かなかったであろう、そして恥ずかしいながら杉原千畝を知らなかったとおもう。更にギリシャやフランスに行くこともなかったとおもう。今年はギリシャとフランスに行く予定ですが、どんな結末になるか解らないが、私にとって人生のドラマになるだろう。

 そして振りかえれば、多くの外国人が豊実に来ることも絶対になかったであろう。優等生でもない小生が、こんなに多くの経験をもつことができたのはEU・ジャパンフェスト日本委員会と奥会津書房のお蔭さま、そして御沓一敏さんの縁にさかのぼる。星のような数ある中での縁なのであろう。与えられた縁である。ただ縁をいかに生かすかどうかは私の人間力がそれを左右する。好奇心をもって、しかも柔軟な人間力が大切だと思う。

EU・ジャパンフェスト日本委員会との付き合いは目先の利害ではない、好奇心であり、自分の人間力を高める機会であったと思う。そして、コスモ夢舞台の仲間にも生かしたいと考えている。だから仲間にも、現在の私があるのは何を体験して今の結果をもたらしているか、それを知っていただきたい。何をベースとして自分を高めるかは自由である。人それぞれであるべきと思うが、大切なのは人間的豊かさだと思う。改めてEUジャパン日本委員会に感謝申し上げます。