2013.06.14
珍客来訪
佐藤賢太郎

 6月3日ある方から和彩館に宿泊予約がありました。

その方というのが何と豊実荒沢の万治峠にある有名な句碑、「忘るなよ万治峠のほととぎす」をうたった小川芋銭の80歳のお孫さんご夫婦であった。お爺ちゃんの足跡をたどるため、年が年なのでこれが最後かとお出でになったようです。

私が作った豊実マップにも、その句碑を入れてあった。もう一つ句碑が実川にあります。「時鳥武陵の民の早苗取り」 

万治峠と言えば、思い出深い旅をしたことを思いだされる会員もいるでしょう。あのハプニングの万治峠です。

 ご当人は和彩館がどういう所か知らないで、町役場で紹介され泊まることになったそうです。

それはさておき、小川芋銭を私もよく知らないのです。河童の絵を描く有名な文人らしい。そして五十嵐亭に宿泊されたと言われている。

 この機会に少し聞いてみました。明治4年廃藩置県になり、武士という身分がなくなり、牛久藩の家臣であった小川芋銭の父親は江戸から郷里牛久に帰ったそうです。その時、小川芋銭は4歳であったそうです。武士でいられなくなり農民になったそうです。小さいときから絵が好きであったようでした。その道に親は反対していたそうです。しかし、やがて小川芋銭の親は許したそうです。小川芋銭は横山大観に認められ美術院同人になったそうです。

どうして五十嵐亭に投泊されたのですかと尋ねますと、ご子孫の方が言うには、西会津奥川に玉木医師の知人がいて案内人として万治峠を通ったようです。河童の絵で有名な画家であり、文人であり、松尾芭蕉のような旅をしていたのでしょう。小川芋銭についてはホームページにも詳しく掲載されています。

 この句碑は、豊実馬取にある宝来寺の住職今川文尭和尚さんの呼びかけで建立されました。今川さんは書でも有名な方です。私は自分の子供がなくなったとき、戒名をつけていただきました。

 こうした機会に郷里の歴史を調べてゆこうと思いました。