2005.9.29
佐藤賢太郎
ふくろう会は勿体無いではない

9月23.24.25日の建設作業に参加してくださった皆さんありがとうございました。こんなことを言っては何ですが、私はとても疲れました、皆さんもきっとお疲れだったと思います。いつもいつも目一杯働いて、無償でどうしてこんながことできるのかと言われます。

今、私は夢舞台完成に向けて全力疾走しています。私が命令しているのではなく、私も何者かによって動かされています。ものすごく動かされている。皆さんも良くぞ、ここまでやってくださいました。そして人生においてこんな仲間はなかなか見当たらないものとしみじみ思います。お金も地位もないが、友という人生で最高の宝があります。

「蔵・銀河」(縄文館)完成まで、もう少しのところに来ました。その素晴らしさを心ある方たちから感じていただけそうです。現に和彩館を訪れる方々が先端の生き方をしている、素晴らしいとの声も頂いています。素晴らしいものを創るということは、人のやれないことをやってこそ素晴らしいと称されるのでしょう。そして参加した自分たちが感動するでしょう。

感動とは、まず一つのことに向って取組み自分が感動すること。さらに、人に喜んでもらえて本当に自分も感動するということになるのだろうと思います。自分だけの趣味レベルでは誰でもやっていますが、感動はそれほど大きくはないでしょう。当たり前のことですが、苦労が多ければ多いほど感動は大きい。しかし苦労やリスクは負いたくないのも人情です。一歩を踏み出すかどうか、ここに差が出るものと思っています。

今日まで、きつい建設作業をしてまいりました。また、食事を作っていただけることもとても大切な要素であります。建物は夢舞台を描くのに第一に必要です。しかし夢は建物を作っただけでは続かないし、得られない。そこにもっと高い志を持っていなければならないと思います。


車に同乗しました幹事長森英夫さんが「もったいない」と誰か有名な人が言っていたけど…

「勿体無い」とは物の持っている本質を捨てている状態をいう。つまりどんなものでも、人間でも必要があって存在し、価値がある。それなのにそれを捨てているということなのです。

そうすると、ふくろう会はひとり一人の人間を「勿体無い」ではなく「勿体」を生かしていることであり、また物をも生かしている。捨てられるものも活かしている。「勿体」そのものが輝いているのです。