2006.04.03
御沓 一敏
次の世代へ伝えるもの(3)

2歳5カ月になる孫が男の子でありながら、おしゃべりであることは前にもお話したが、良い面が出ていて、道ですれ違う人によく挨拶をするし、この頃は、人を誉める言葉を盛んに使う。今のところ、誉め育てが順調にいっているなと内心、胸をなでおろしている。

例えば、母親に対しては「ママの料理は最高!」、オバーちゃん(妻)が泥パックをしている顔を驚いた様子で、まじまじと見ながら「オバーちゃん奇麗だね」と言ったり、私の車に乗ると「ジージの運転は上手だね」といった調子である。大笑いしながら、大の大人が満更でもない気持ちにさせられる。逆に孫に教えられているように思えた。

江本勝氏は水を氷らせて、その結晶を写真に撮り、いろいろな実験をしている方である。著書「水からの伝言」の中で、普通の水道水を氷の結晶にして写真に撮るとバラバラな型にしかならないが、同じ水でも『愛の気・言霊』を受けると亀の甲型の奇麗な結晶になるという証明をされている。
りんごに奇麗な言葉で語りかけると日持ちがよいとか、作物に感謝の言霊をかけると実りが良いといった例は枚挙に暇がない。人も植物も良い声(肥)をかけられると元気になるというのは真理のようだ。

ところが、人間とは厄介な動物で欠点や悪いところに目が行きがちな代物のようだ。
ある日、人間教育の場に出かけた。その光景を見たMさんは、病んでいるような人が多いという。かたや同じ場所を見たSさんは、今の時代には珍しく、すばらしい子供たちが育っていると感動していた。私の目には圧倒的に前者のような見方の人が多いように思える。

一つの基準に合わなければバツと切り捨てられる世の中では、気の休まるときがない。はき違えの男女平等を訴えたり、他人の弱点といった粗捜しをしたりするよりは、お互いの良いところ、宝探しに徹したほうが人間関係、ひいては国レベルの関係もうまく行くと思うのだが……。この点では一万年もの長い間、平和な暮らしをしていた縄文人に学ぶべきところ大なるものがあると思う。

さて、私ごとだが、いよいよ4月から本格的に豊実での生活が始まる。
「感動ある人間交流」の場作りという夢を共有しながら、無償(見返りを求めない)の働きでよい汗を流す。特段に、才能や技術など持ち合わせていなくてもお互いの存在を認め合う「コスモ夢舞台」は疲れた人を再生する格好の場所である。
こうしたものを次の世代へ伝えるためには、もう一踏ん張りしなければと自らに言い聞かせながら。