2006.12.14
御沓 一敏
ホームページを作る心
(泥臭さの中に)

同じような経験をした人とは苦労話も共有できるところがある。筆者があるきっかけで、HPを作ることになったときのこと、やはりある企業のHPを作った人曰く、「誰がなんと言おうと、3年間は変えたくない心境だ」と。
その道のプロならまだしも、私のような素人には、その人の言っていることに同感であったし、大変な思いをしてやっと出来上がったものを変えるなどということは考えたくもなかった。

当初、HPを作るなら、ボタンの上にマウスでカーソルを持ってきたとき、クルクルと色が変わるあのようなものを作りたいとひたすらその機能だけに憧れ、曲りなりにそれが実現できたときは、HPが100%完成したような気分になり、小躍りして一人で美酒に酔った覚えがある。
そのときは、全体のことを考える余裕などなかった。

あれから1年数ヶ月が過ぎた。数にこだわるつもりもなく、一般的に言われているヒット数を上げるためのテクニックに迎合するつもりもなかった。しかし、アクセスカウンターの数も一向に上がる様子もなく、効果も余り表れていないと感じたとき、「コスモ夢舞台」のHPを比較的よく、ご覧いただいている方々の意見を聴いてみた。
すると殆どの人が、「更新の欄」を見て終わりということで、良くも悪くもこの世界は、新しい情報を流し続けなければならず、しかもスピードを要求されるということが痛いほど分った。

世の中はADSLから光通信の世界に移行しているが、豊実は依然としてISDNの世界である。HPも写真が入っていると開くのにも、転送するのにも時間がかかり、まったく仕事にならない。
ここで、ふと思った。繰り返し観てくださる人がいたとしたら、いくら良い景色の写真でも、これ見よがしに大きい物や、数が多いと逆に迷惑になるのではないかと。

まず、写真を極力小さくしてみた。次に省略である。絵を描くときも、文章を書くときもこれが一番難しい作業であるが、HPも同じだ。特に苦労して作った部分は捨てたくないという心理が働くから厄介である。
それでも、泣く泣く写真を省いていったら、歯抜けの画面になってしまった。
そこで、当初、泥臭い画面だなと思っていた大手ポータルサイトの画面を改めて開いて見た。単純だが機能的にはこれが良いのだと思った。真似ぶことからの再出発である。


自分自身は、泥臭い人間だと思っている。それだけに派手な物、流行のもの、格好良いと言われるものに一瞬、気を魅かれることがあり、そのためにブレを生じることがある。

佐藤さんは、文章の巧拙云々よりも、とにかく、ふくろう会の仲間に伝えたいという思いから1ヶ月間、毎日、「ギリシャからの手紙」を書いたという。
これだけ変えたからといって特段、HPのアクセス数が増えたわけではないが、誰に観てもらいたいのか、何を伝えたいのかだけは外さずに、本物を求めて自分が変わるしかないと思った。