2009.06.26
なぜ縄文か
御沓一敏

 しばらく、佐藤さんの口から「縄文」という言葉が聞けなくて寂しい思いをしていたが、 今年、本場長岡から火焔土器のモニュメントの仕事を受注、見事に完成して設置まで終わったと聴いて驚いている。

 それではなぜ縄文なのか、自分にとっての縄文とは何なのだろうかということを少し述べてみたい。
 興味を持ちはじめたきっかけは、新渡大橋の工事中に豊実から縄文土器や土偶が出てきた話を聞いてからである。たまたま、そのころ「ムー大陸の世界」という本を読んでいた。
   一言で言うと、太平洋上に高度の文明を持った巨大な大陸があり、そこから伝わった先がインカ文明、マヤ文明、エジプト文明、アンコールワット等であるという。

現象的には、地殻の表皮に近い岩層の空洞部分を埋め、土地を支えていたガスが逃げ出したことが原因で1万2000年前に沈んだとされている。
   また、石版に残された碑文などの解読によると、当初、高度な文明をもっていたが、やがて物質文化が極度に発達し、健全さを失い、自然を破壊する生活を送るようになった結果、滅亡の道を辿ったという。

ムー大陸も縄文もマイナーなのは証明できる文献が残っていないということであり、多くの考古学者や歴史家が認めようとしないし、語らない分だけ逆にロマンや夢が広がる。

1万2000年前に沈んだ大陸の西の端に日本(縄文)があり、唯一残されたこの地から文明が発信されたという説まであるが、中華思想とは違う日の本中心説もあながち的ハズレはないと思っている。

私事になるが、年に一回夫婦で出かける旅も、ムー大陸と縄文の関連探しのようなものである。例えば蛇を神としていることやシンボルマーク、数字、土偶などに多くの共通点を見出しては自己満足している。

新潟出身の考古学者小林達雄先生は、「縄文は文化であって文明ではない。文明とは技術と効率、文化とは生き方、暮らし方そのもの」という説を唱える。

蔵銀河・縄文館には佐藤さんが抜粋した縄文の特徴 ①一万年もの長い間、大きな戦争がなかった ②必要なものを必要な分だけいただく生活 ③すべてに魂を感じる生活の三点が掲げられている。

 不祥事を働いた企業が必ずといっていいくらい“コンプライアンス(法令遵守)の導入”というわけの分からないカタカナ用語を使うが根本的な解決にはなっていない。

日本人が本来大切にしてきた「徳であり義(人が人であることの美しさ)や情」を取り戻すことがいかに重要か、コスモ夢舞台こそがその発信基地でありたいと願っている。

 縄文のビーナス?





 メキシコのビーナス?