2007.08.15
医は仁術なり
御沓一敏

 「巧言令色鮮矣仁」、漢文の苦手だった自分の口からなぜか、この言葉だけが今も口を突いて出てくる。また、 「医は仁術なり」という言葉ももはや死語ではないかと思われるような寂しい世の中になってきた。

 一方、人間の身体も加齢とともにあちこちで軋みが出始める。家内は白内障の手術をした後、黄斑上膜(網膜上の皺)が見つかったということで、再び、手術をすることになった。

 ところが、硝子体手術は眼科領域では最も難易度が高いということで、この手術のできる病院と医者は数が限られてくる。
 知り合いの評判や場所的なもの、インターネット上の情報を見ながら、家内は病院を決めかねていた。
 私は、応対の早さと電子メールを通して伝わってくる心温まる文章の内容から判断して、距離に関係なく横浜の「T先生」に決めたら良いと断言した。
 他の病院であれば通常、入院しなければならないところ、日帰りで大丈夫とのこと、手術は45分くらいで無事終了した。

 手術の翌日、診断に行って来た家内の表情が優れない。理由を聞くと眼帯を外したけれど目が見えないという。
 実は、T先生の本拠地は京都で、横浜には週2日しかお見えにならない。したがって、やり取りは全てメールである。早速、家内は帰宅して、不安な旨を伝えていた。
 回答はいつもより少し時間がかかったが届いた。返事が遅くなったことと説明が足りなかったことへの侘びと大丈夫であるという理由が素人にも分りやすく、人柄がにじみ出る感じでしたためらていた。発信の時間を見ると午前2時過ぎであった。

 翌朝、メールを読んだ家内は現金なもので、ルンルン気分となり、早朝より鼻歌交じりで掃除が始まった。
 手術に対する不安を払拭する温かい言葉掛け、一緒に頑張りましょうという一体感を強めるやさしい対応、なかなか外では出来ない体験を家内はしたようである。

 「事々一切必然にして偶然無し」とすれば、今回の病気を通して、このようなすばらしい先生に引き合わせてくださった創造主というか大自然あるいは神というか、はたまた親祖先への感謝を忘れてはなるまいと夫婦で話し合っている。

 医者になる目的が「金儲け」だったり、インターネットの悪影響だけが取り上げられる昨今、外してはならないのは「人」であり「仁」ではないかと改めて思った。
 「感動ある出会い」「1人1人が輝く(元気になる)」「本物と向き合う」はこうして、日常生活の中にも存在する。
 いよいよ始まるコスモ夢舞台の後半に向け、自らもこのことを意識して、人と接していかなければならないと心に誓った。