2009.11.28
コスモ夢舞台に参加して
森 紘一

 はじめて佐藤賢太郎さんの郷里、豊実に来たのは、ふくろう会のバスツアーに参加した7年前の秋だった。
紅葉織りなす山々の景色や、きらきらと光りながらゆったりと流れる阿賀野川に魅せられ、おもわず「いいところだなあ」とため息が出た。
 それから、馬取川沿いの杉林にある「悠々亭」を訪ねた。そこには、流れの速い川音があたりを支配する不思議な空間が広がっていた。仲間だけの手づくりで生の杉木立を生かしてこの東屋を建てたという話を聞き、その発想と自然とのバランスの良さに感心したものです。
 母屋近くの、これも仲間たちで修築したという「ふくろう会館&アートギャラリー」に石彫作家 佐藤賢太郎の作品群が集められているのも魅力的だった。

 横浜で生まれ育ったわたしには田舎のふる里がない。これを機にわたしは会員に加えていただき、佐藤さんの郷里は願ってもないこころのふる里となった。はじめは、納戸や物置小屋を修改築する建設作業に連休を利用して豊実へ通いながら、徐々に先輩諸氏との共同作業で親交が深まっていった。あるものを生かし、金をかけずに再利用してあらたな価値を生み出すという手法も納得できるものだった。会社勤めの長いわたしにとって、それはじつに新鮮な体験であり、定年後の楽しみとなっていった。

 主宰者の佐藤賢太郎さんが、コスモ夢舞台のグランドデザイン構想を表明したのは5年前である。その翌年の第2回目の里山アート展には、仲間も作品つくりに参加した。わたしも諸先輩の助けを借りて「ガリバーの椅子」を出品した。まったくの処女作だが、刈り込みの済んだ田んぼにすっくと立つ黄色い椅子には、我ながら感動したものである。アートには無縁のわたしが、創造することの面白さと喜びを体感できたのはありがたいことだった。素人のわたしたちが里山アート展に参加することが、まさにワークショップであった。

里山アート展も回を重ねて、今年で6回目となった。アート展会場の周辺整備も進んで、景観づくりやビオトープづくりには地元の人々の協力も加わり評判も上々である。
   大自然をキャンバスにメダカやドジョウの棲む池、蛍の舞う小川、古代ハスや水芭蕉の池を造形していく土木作業は、今日的な環境問題にもつながるコスモ夢舞台の壮大な作品でありロマンである。

コスモ夢舞台のホームグランドは、JR磐越西線の福島県に近い豊実駅前に広がる一帯である。少子高齢化の進む過疎の集落ではあるが、コスモ夢舞台のさまざまなイベントが展開される春から秋にかけて、シンポジウムやコンサートが開かれる食事処兼宿泊所の「和彩館」は県内外や海外の人々であふれるにぎわいのスポットとなる。
   コスモ夢舞台は、はじめから地域社会の活性化を標榜していたわけではないが、都市と海外の人々との交流を促進することはコスモ夢舞台を運営していく上でも欠かせない要件となってきた。特に今年は、エレルヘイン少女合唱団の来訪や田んぼ夢舞台祭り、写真ワークショップの開催などを経験して、その感を強くした。
   その点で、我われがEU・ジャパンフェスト日本委員会から触発され学んだことは多い。古木修治 事務局長のエールには、佐藤さんの言うとおり真摯にお応えしていかなければならないとおもう。

コスモ夢舞台の関心ごとは、日々の暮らしや生き方にも向けられている。
   安心安全な美味しい味噌づくりや古代米づくりといった「食と農」も大きなテーマの一つである。この春、地元のご婦人連との味噌づくりのお手伝いをした。大豆の煮方からつぶし方、塩とにがりの混ぜ方、そして保存法は、どれも年季の入った経験技だった。なるほど身近な生活の知恵は、こうして親から子へと確実に伝承されていかなければならない文化であると実感した次第である。

ご多分にもれず、豊実地区も休耕田が目につく。農業従事者の高齢化と後継者問題は集落全体の悩みである。国の農業政策や行政指導だけで好転するとはおもえない。我われは、これも広い意味での「教育」問題であると考えている。
 3年前から奥阿賀ネットワークとの連携で、都市部の中・高校生の体験学習の受け入れを実施している。定年後、仲間やわたしも体験学習に参加しているが、この「コスモ夢舞台塾」をさらに充実させていくことは、コスモ夢舞台の持続的な発展となりそうである。                                               

これからも里山アート展を軸に、田んぼ祭り、ビオトープづくり、コスモ夢舞台塾、アートや食と農、歴史などのシンポジウムを織りまぜながら、仲間と共に地域社会と個人を元気印に染め上げていきたいものである。(終)