2009.05.30
火焔土器
佐藤賢太郎

モニュメントとして、石を素材に火炎土器を制作することになった。縄文中期の土器は自由奔放に作られたとおもわれる。最高の造形美に至ったが、やがてその造形も静かになった。中期の土器は初期の縄模様はなく、紐状による渦が特徴的で、さらに複雑に構成された土器である。鍋として、煮炊きのための実用性には向かないが精神的には大きな意味があったのだろう。

土器は単なる煮炊きをする道具というだけでなく、生命を再生させる器であったといわれている。生き物の命を絶ち再生する、そこに畏敬の念もあったとも言われている。その他いろいろな説を唱えている学者もいますが省略します。

 私は作品をつくるにあたって、火炎土器を抜粋してデザインに取り入れながら、形は三角柱に収めることにした。火炎土器は今までなんとなく見てはいたが、モニュメントを制作する為に渦や造形を観察せざるを得なくなり、「蔵・銀河」にあるレプリカをスケッチしてみた。
  渦一つも単なる時計のようなゼンマイの渦ではない。一点に集中して洗濯機の中の水のように渦巻いているのではなく、そこから次の渦に繋がっている。そこには、連続と無限を感じる。渦の造形がなぜ生まれたのか、それは子供の絵遊びで作られたようだという方もいる。人は、鳴門のような渦や竜巻の渦などに畏敬や恐怖を感じるという。そういう自然現象に接し取り入れたのだろうか。

 観察しているうちに、渦は何処に繋がっているのかようやく解かりかけてきて、面白くなってきた。また、人間の目や口のようなものもついている。それも、人間ではないものとしてそこに飾りつけたのだろう。さらに解からない渦模様がある。これを作品に取り入れようと、スケッチして石夢工房で制作にかかった。ところがわからなくなってしまい、「蔵・銀河」に戻り観察し直した。工房と「蔵・銀河」を行ったり来たりが五度も続いた。不思議な変形した渦である。作品の完成までに、まだまだ観察が続きそうである。

 私は作品づくりのために土器を観察するようになったが、これも佐藤光義氏の精巧なレプリカが「蔵・銀河」にあればこそであった。

それにしても、渦と波のような形、穴が複雑に構成された土器は如何して考えられたのであろうかと驚かされる。
   中期縄文土器のようなものは一般家庭で日常的に使われたものではなく、特別なときに儀式として使われたのだろうと思う。