2015.03.09
人生に悔いなし
佐藤賢太郎 

「我が人生に悔いなし」そうありたいものです。いつも言っているように、人の命はいつ果てるか分かりません。いつか消えるものですが、思い残すことのないように、一日一日を生きてゆきたいものです。 

さてこの度、豊実の雪が消える前に、私が34歳で彫刻家の修行に行った彼の地、岡崎市と、その時私たちを励ましてくれた人生の先輩が住んでいる名古屋に行きました。私たちにとって、厳しい体験をした地は忘れがたい。しかし、それは人間として成長するところでもありました。 

行ける時に行こうと家内と意見が一致して、飛行機で名古屋の中部国際空港に新潟から立ちました。あっという間に到着。

名古屋ではホテルは予約済でしたが、泊まってくださいという有難い岡崎の友人がいました。空港から岡崎に着くと、迎えてくださった方と食事をしたのちに、師匠のお宅を訪問。その後、師匠のお墓参り、そして苦労を共にしたアーチストと笑いながら昔を振り返った。その方は「佐藤さんよく墓参りに来られたね」と驚かれていた。才があった彼は、美術大学卒業ではないのに作家として活躍しているし、ギャラリーも経営していた。そしてその晩、泊るお宅まで送っていただいた。 

その家のご主人は初対面ながら快く迎えてくださり、深い内容の話をしました。そして翌朝、私たちは朝起会に参加し、懐かしい方々とお会いしました。あのころの体験を話し、その笑顔を見ると嬉しくなりました。その後、有志と岡崎城の近くで昼食を共にしました。さらに、八丁味噌見学に案内していただきました。 

感じましたことは、30年たった今日、その間付き合いもなかったのに、私たちを信頼して下さる方がいたことは、私たちの財産でありました。とても幸せでありました。

集まった方々は、「豊実に行きたいね、行こう」と声が上がりました。岡崎、名古屋と豊実の心の絆が繋がりそうです。

名古屋では85歳の年配の方がとても喜んでくださいました。耳は少し遠くなりましたが元気でありました。「あの時、あなたたちはどうなるか、私はとても心配でした」と回想しておられました。そのおばあちゃんは、日本橋高島屋の私の個展に、わざわざ名古屋からお出で下さいました。しかも、パーティにも参加してくださったのです。 

私の個人的なことですが、コスモ夢舞台もこうしたことがあって、18年継続していることをご理解して頂けましたらと思います。何をするにも、やはり最後は人間関係であります。