2014.12.11
豊実の里山資本主義
佐藤賢太郎

 衆議院選挙まっただ中、どの党も地方の活力、地方創生が大切と言っております。

国民の大半は経済活性化を願っていますが、簡単に成果となると、その手立て、その答えはほとんどありません。あれが悪いこれが悪いと批判はするが、政権に着けば、そんなに簡単に理想は実現しないと思う。日本は一党独裁の国とは違い、何を言っても抹殺されることのない平和な国です。

 一方で昨今、『里山資本主義』が売れているそうです。本が売れるとういうのは経済活性化にもなりますが、『里山資本主義』は経済の活性化を追求する本ではないと思います。あるものを生かすということです。何もないというが、資源がいっぱいあるところを見つけ、生かすのが里山資本主義の本質でしょう。

阿賀町では仕事がないから若者は都会に出てゆき、それっきり、故郷には帰って来ないのがほとんどである。一年一年、家が取り壊され限界集落に近づいている豊実地区です。そんな中で、私は既に豊実で規模は小さいかも知れませんが、里山資本主義の本質を行っていると思います。

都会のように仕事が多岐にわたって、何でもあるというわけではありませんが、豊実には次のような資源が沢山あります。

1.    クリーンな空気、クリーンな水がある

2.    燃料となる木材がある(ただしストーブが使える地域)

3.    無農薬米、野菜を作っている

4.    添加物のない味噌、梅干し、柿酢を作っている

5.    蛍、メダカ、ドジョウ、カエルなどの生きものを見られる

6.    野外アート展などイベントを開催している

7.    自然食の食事処を開店している

8.    外国人の訪れる地域である

9.    都会の方が訪れる地域である

10.障害者が訪れる

11.NPO法人のコスモ夢舞台がある

T2.雪がたくさん降る

13.光ファイバーがある(インターネットが使える地域)

14.規模の大きな森林がある、田んぼがある。(ただし、猿が出てきて野菜などをとる)

 資源があっても、この過疎で元気に暮らすには応用や組み合わせコラボレーションする能力がなければ、資源は生きてこないと私は思う。そして地元の方だけでなく、外の人と繋ぐことができること。それには、国や県の助成金を使える能力がある事。助成金を使って田舎でも様々なイベントを開催すれば、魅力ある田舎づくりにもつながって、経済もまわり、この田舎に住む希望も湧いてくるだろうと思う。

 最後に「人間の幸福とは何か?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。里山資本主義の目標は何でしょうか。田舎で暮らす術でしょうか。田舎でもお金は必要ですが、幸せに生きることが最終目標でなければ魅力を感じません。

その意味で人が幸せを感じるには、私はまず健康であること、そして愛されること、褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること。しみじみとそう思います。

 ふと思いました。ガンになったとき私がすぐに「雨にも負けず」を思い浮かびました。宮澤賢治の雨にも負けずには「褒められもせず、でくの棒と呼ばれ、そういうものに私はなりたい」と言っています。表面的には上記の幸せ論は否定的にも思われます。しかし「雨にも負けず」の前段で疲れた母あれば、死にそうな人があれば等と人の役に立つ働きを言っています。つまりその実行は人の役に立ち、人に愛されます、人に必要とされます、そして褒められることになります。ただ褒められようとしていないことです。ようやく上記の幸せ論とつながります。