2011.09.22
会津・阿賀野川流域シンポジウム
坂内克裕

 「会津の山々から湧き出た水は、大小の川となりやがて阿賀野川となって日本海へと流れ、会津と越後の物流や人の行き来の要となって、多くの歴史や文化が育まれてきました。

 私たちは、森の恵みを受けながら暮らしてきましたが、近年、木材価格の低迷や過疎高齢化などにより森の荒廃は進み、地域の活力が失われてきています。

 森を地域の資源として活用し、森と共に活きる地域を目ざすとともに、先般の福島第一原発の事故による放射能の森への影響を正しく理解し、地球温暖化防止や豊かな水を育む等大切な森林を後世に引き継ぐ役割をはたし、若者の住む魅力ある地域づくりを考える、このような目的で、本シンポジウムを開催します。」

 9月20日午後1時から喜多方プラザの小ホールで開催された「会津・阿賀野川流域 森を活かした地域づくりシンポジウム」に、佐藤さんに誘われて参加しました。冒頭の文章は、そのチラシからの抜粋です。
 
   ここにあるように、豊実を流れる阿賀野川は、南会津町や会津若松市、喜多方市を流れる川をはじめ尾瀬を水源とする只見川など、会津に降る雨のすべてを集めて流れており、江戸時代には会津藩の藩領だった津川に川番所が設けられ、会津の米を大阪に送って販売したり、塩や日本海の海産物を会津に運ぶ舟運の大動脈として重要な役割を担って来ました。今でも豊実周辺の盆踊り歌が「会津磐梯山」であるというのは、その名残のひとつです。
   
   しかし今日、過疎・高齢化、森の荒廃は全国的な懸案となりました。そこで、森林資源の活用と地域活性化を考えるとき、森は水のふるさとでもあるという一面を考えるならば、県の境を越え阿賀野川の上流域と下流域が一体となって森と共に活きる地域づくりを考えて行こうというのが、このシンポジウムの目的です。
   
   また、今年は国連が定めた「国際森林年」であり、「『持続可能な森林管理・利用』という森林の成長量を超えない範囲での木材利用の重要性に世界中で認識を高める」ことを目的とする国際森林年に沿うシンポジウムでもあります。主催者は、会津流域林業活性化センターでしたが、新潟県森林組合連合会も後援しており、「活動事例発表」には新潟県側から2件の参加がありました。

 一つは「NPO法人ウッディ阿賀の会」で、放置され荒廃が進む里山を整備・育成し、本来の美しい里山に再生していくことを目的に設立された団体です。チェーンソーの達人が20名所属しており、本来の里山再生のための手入れや植林活動のほかに、チェーンソーチームを被災地の瓦礫処理に災害ボランティアとして派遣したりしたこと、また、子供たちも含めた多くの理解者を得るために間伐材でログハウスを作ったり、木を削って継ぎ目のない鎖を作ったりと、いろいろな遊具を考案して交流活動を行っていることなどが紹介されました。平成21年林野庁長官賞を受賞しているそうです。

 二つ目は「株式会社 アーク」。こちらは「ガシファイアー」という薪ボイラー開発国産化の発表で、キャッチフレーズは「地産地焼」。この薪ボイラーは、二次燃焼室を設けた高効率の木質バイオマスボイラーであり、今回の震災では、岩手の被災者に瓦礫を燃やして仮設の風呂を提供したことで記憶に新しいものです。将来は、薪ボイラーの廉価化を実現して普及を図り、ガソリンスタンドが昔炭屋だったころに戻って薪スタンドを兼ねるようになることが、森林資源を活かした地域の活性化を実現するものだとの発表でした。

 先のログハウスは間伐材を手作業で組上げ屋根はペンキの一斗缶を潰して葺くといったもので、コスモ夢舞台の悠々亭のような成り立ちです。ガシファイアーは、中学生たちが集めた枯れ枝や薪割した薪を使う桃源の湯を連想させました。コスモ夢舞台の活動は、一面このシンポジウムでの発表もかなうものでしょう。

 このほか会津側からは、前三島町町長が桐の植樹から桐箪笥製造までの一貫した三島町の「桐の里づくり」を紹介する、発表がありました。

 それから、独立行政法人森林総合研究所からは「森林に及ぼす放射線の影響」と題して講演があり、現在福島県の森林の放射能値の詳細な測定作業を実施しており、10月にもその結果が公表になると発表されました。

 そしてシンポジウムのメーンは、哲学者で立教大学大学院教授、NPO法人森づくりフォーラム代表理事でもある内山節氏の講演です。この内容については、佐藤さんが9月21日付けで「森を活かした地域づくりシンポジウム」と題してホームページに載せているとおりです。

 今回のシンポジウムでは、「阿賀野川流域で森を活かした地域づくり」という、コスモ夢舞台の活動の一面の位置付けが認識できたほか、佐藤さんの書いているように、共感することの多い話がたくさんありました。