2012.07.16
アートの心意気
佐藤俊一

 皆さんこんにちは。津川町(阿賀町)下越酒造の佐藤です。私は中学校より東京へ行き、平成5年に戻り、現在家業に従事しております。

故郷津川の思い出は小学校時代までと僅かですが、当時は町にもそれなりの賑わいがあり、ベビーブームで子供も多く、町内のトンボ、路地、お寺、川原、裏山などで近所の子供たちと一団となって、いろいろな遊びを学習、体験することでネットワークが造られ、近年問題になっている“イジメ”と無関係な、楽しい時代でした。

 しかし戻って来てみると、昔の仲間は職を求めて町を離れ、子供の姿を見るのも朝、午後の通学時位で、街並みの整備はなされているものの、スーパーの郊外化で過疎化が進み、人通りが絶え、シャッターの閉まっている店がだんだん増えてきています。

ただ5月3日、年1回の奇祭「狐の嫁入り行列」だけは県内外の観光客が多く訪れ、活況を呈しています。私に出来る事は、お祭りの手伝いと裏路地を探索する観光客に喜んで頂ける様に弊社工場周辺の環境を整備する事とし、花・庭木の手入れを始めていました。

そんな中で佐藤さんに出会ったのは、リトアニアから写真家のアルトゥーラス・ヴァリャウガ氏を招聘し、私達が普段何気なく接している阿賀町の自然、文化、伝統、生活と言った諸々を外国人の目で切りとってもらう活動に協力を頼まれた時でした。すでに豊実で和彩館をつくられ、「フクロウの彫刻を・・・」とは、新聞の折り込み等でうろ覚えでしたが、お会いしてみると、ボランティアの仲間の人達とアートの力で地元の町興しにかける夢を熱心に語られました。

彫刻家として中央で存分に創作活動に徹することも出来たのに、わざわざ過疎化の故郷に戻られて町興しとは? そういえば県内十日町市近郊でも「大地の芸術祭」(2000年〜)や、最近新潟市の「水と土の芸術祭」(2009年〜)と似たような活動もありますが、いずれもイベント専門家や行政が絡んだ大規模なものであるのに対し、いち早く殆ど個人と限られた仲間とで1990年代後半から活動されて来たエネルギーの源は? 苦労を厭わずギリシャに単身乗り込み、豊実よりさらに不自由な環境下で人魚「融合」を彫って来られた話(「ギリシャからの手紙」読ませて頂き大変面白かったです)などから、賢太郎さんは単なる物を創造し、それを理解、評価してくれる人々の存在に満足する芸術家ではなく、現場に飛び込み、自らもがき・楽しみながらテーマを見つけ、創造し、人と人との繋がりを大切にし、相手を引き込み積極的に楽しんでもらう、さらにその過程も含めた「コスモ夢舞台」活動自体が賢太郎さんのアートだと確信出来る様になりました。

しかし、その活動を支持すべき私も含めた地元ボランティアの人達が大変少なくて申し訳ない思いと、コツコツと積み上げられて来られた活動を何とか地元の阿賀町の人々に認知して頂き、場合によっては一緒に活動に参加して頂ける環境の整備にお役に立てるPRの機会はないものだろうかと、まずは新津法人会東蒲原支部総会で紹介させて頂き、それなりの共感を頂いた様にもお聞きしています。次ぎは阿賀町観光協会、鹿瀬商工会(特に青年部)、ライオンズクラブ等々・・・・?

自ら参加し、自ら楽しみ、そして相手も楽しませる事が出来るアート。そう言えば、津川で毎年やっている「狐の嫁入り行列」での台輪作成、会場設営準備、当日の式場進行裏方に携わる川原班の面々にも同じアートの心意気を感じ取れます。このアートの気持ちが在ればこそ一過性で無く、年間を通じて、何年にもわたって長続きする町興し、即ち周りの人々を引きこんだ住民の生きる喜び、満足があり得ると思っております。雄大な自然の力もアートですね。ご活躍を!