2012.11.25
母の卒寿祝い
佐藤賢太郎 

11月24日(土)母の卒寿の祝いをすることになった。前日から家内は、食事は何にしようかといつものように苦心していました。 

「あなたもおいしいと言ってばかりいないで、たまには作ってみて」と言われ、カボチャスープつくりを手伝いました。

若き日に語り合った高校教師時代からの友人であり、コスモ夢舞台の会員でもある森英夫さんがホームページに載った一枚の写真から、私に「マサさんの卒寿の祝いをしようと」言ってくださいました。本当にありがたいことです。私がしようとしていないのに、ことが運ばれたのです。突然のことでもあり「忙しいから森英夫さん一人しか来ないかもしれないよ、それでもいいですか」と念を押しました。森英夫さんは自分の親の経験からか、「勿論やるよ、佐藤さん、できる時やっておいた方がいいよ」と言ってくれました。 

当日は会員7名、母の兄弟でもある叔父さんご夫婦、私の妹、会員の奥さん、そして私たち夫婦合計13名の賑やかな祝いとなりました。この組み合わせも珍しいものでした。

さて会は始まりました。皆様から心のこもったプレゼントをいただき、母は恐縮しながら感謝していました。大野さん、母の大ファンの今西さん、菅原さん、荻原さんから心のこもった祝福をいただきました。 

ところで毎朝5時前に私たちは起きます。母が元気に起きてくるかどうか、私たちはいつも心配します。そんな年回りになったとき、森英夫さんがお祝いをしようと、元気を与えてくれました。本当に良かったと思います。寝たきりで、卒寿に祝いをしても寂しいですね。母は「ありがとうございます」と元気に立派に、感謝の言葉を言えました。

司会進行する森英夫さんが桐山さんのファックスによる祝電を読み上げました。その内容は私たちの心に沁みました。母がいつも私たちを心配してくれる言葉が入っていました。いつも心から思ってくださる桐山さんありがとう。

身内ではない他人にしていただけることは何よりありがたいと思いました。友は私の財産です、お金には換金できない卒寿の祝いでありました。

思えば、何でも許してくれた父にはこんなことはしてあげられませんでした。大野さんに言われて、完成した当時の「蔵銀河」の2階に歩けない父を負ぶって上がったことが懐かしく思い出されます。 

ともかく、母の卆寿の祝いは無事に終わりました。言い出しっぺの森英夫さんありがとうございました。つくづく、皆様に支えられている私たちを思いました。