2020・2・29
障害者施設に彫刻寄贈
佐藤賢太郎

 たまたま私は健常者として生まれた。障害者に生まれたひとびとに、私は今日まで何もできないでいた。
 コスモ夢舞台の会員に障害者施設で働いている方がいた。そのことがきっかけで、彼らは郡山からはるばる里山アート展に参加することになった。里山アート展は私が主催する展示会です。プロもいれば、アマチュアもいる野外展示会です。

 私も人生の終盤を迎えることになった彫刻家です。私の彫刻をあちら、こちらに寄贈している。その事で役に立つならば、関係を持った障害者施設に私の作品を寄贈しようと思った。彫刻家になった私を、多くの方が支えてくれている。その人たちへの恩返しにもなろうかと思っています。こうして人間は支え合いながら、生きてゆくのだろうと思います。

 人生の終盤と言いましたが私は約50年間も生きた年代が違う若者と交流している。彼らは便利さの中で暮らしている。パソコンが使え、英語を話せて、権利を主張しても、石油ストーブの着火が解らない。ものすごい世代の差を感じるこの頃です。災害で電気がつかなかったら、彼らは生き延びられるのでしょうか。私は71歳になって言えるのだが、社会のお蔭様を感じている。
 また私は海外の人と接する機会を多く持ちますが、彼らは便利な中で暮らす日本の若者よりたくましく思えてならない。

 話しは戻りますが、多くの方の支援や、社会の恩があるものの、障害者施設を新設した彼らの逞しさを感じています。