2018.11.19
「朱鷺メッセ」でのひととき
森紘一 

 「里山アート展」も終わり、約一か月ぶりの新潟は眩しいほどの青空が広がっていた。18日(日)初めて訪れた朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンターは、本格的な展示場、大小の会議室、ホテルなどが一体化した複合施設として15年前(2003年)に建てられている。羽を広げた朱鷺をイメージしているというが、遠くから見ると超近代的な客船がゆったりと横たわる未来図ように見えた。 

 そんな会場では、新潟日報社と県と市の社会福祉協議会共催の“福祉・介護・健康フェア2018”が開催されている。会場内は日曜日とあって、家族連れや子ども連れも多くみられ、すでに賑わいはじめていた。さまざまに仕切られた一階のセミナーブースの一角に、[「里山アート展」がつなぐ交流と地域共生]と掲げられた佐藤さんのステージがあった。

 きょうは地元の小宮さんをはじめ、関東方面からも7名の会員が会場に駆けつけている。 

 2時間半の持ち時間のなかで、佐藤さんは何を語り、何を訴えようとするのか、我われも興味津々で見守っていた。80席用意されたという椅子席の8割方が埋まったころ、

「コスモ夢舞台賛歌」のテープが流れ、終わったところで佐藤さんの登場となった。

 控室では「疲れたよ」を連発していた佐藤さんだが、いざ本番となると余裕の表情だった。

 スクリーンの映像を指しながらの佐藤さんの話しぶりは滑らかで、「里山アート展」の生い立ちとその背景、現在の情況とこれからの課題まで、仲間と自らの実体験を写真で語り、会場の皆さんに問いかけるという滋味あふれるほのぼのとした進行ぶりだった。

 「アート展」に参加し、豊実で研修生活を体験した新潟大生の吉田麻希さんには感想を求め、エールを送っていた。

 ウーファーとして逗留し、この後東京へ向かうというアメリカの若者Zachからは「また、豊実に来たい」との感想をもらった。 

そしてさらに、アート展の会場周辺の草刈りに何度も足を運んでくださった石川さんにも感謝の言葉を述べた。その石川さんの「できることで、お手伝いをしたかった。でも、誰のためでもなく、自分のためにやりました」という返答も、心地よい響きだった。

 地元のお二人に、「アート展」やコスモ夢舞台の生き方に感想を求める場面もあったが、地域共生がテーマとはいえ、協力を強く要請する口調ではなかった。

 ガンから立ち直った仲間としてWさんを紹介し、現況を語ってもらう一幕もあった。

博進堂の清水社長も感想をもとめられ、「『モロッコからの招待』の英語版を出しましょうと」と応じてくださった。

 会場には、佐藤さんの話にも出てきたエコストーブを製作した大石さん(渡辺美紀さんと同郷の同級生だそうです)が、わざわざ北海道の標津町(しべつちょう)からお越しになっていた。きょうの講演にも納得の笑顔に、佐藤さんの謝意も深かった。

 後継者問題についても、具体的にカナダ国籍でレバノン人のカセンさんが年明けの1月から豊実入りすると期待を寄せる発言をして注目されました。 

「里山アート展」のテーマは“アートと生活”です。これからもアート展を継続していくことによって、地元地域との共生は深まっていくことは間違いありません。佐藤さんは「感動ある人間交流」、「一人ひとりが輝く」、「本物と向き合う」というコスモ夢舞台の合言葉を最後に述べて、夢の実現に向けて進むことを宣言したようです。 

会場は実に和やかで、明るい雰囲気が漂っていました。

「いつまで生きられるか分からないが、死ぬまで頑張ります。あと、30年は生きるつもり(?)」という発言に、我われも含めて励まされた方は多かったようです。