2008.01.24
団塊世代の仲間
佐藤賢太郎

何せ私は村に何十年も住んでいなかった。突然都会から仲間を連れてきてどんどん勝手な事をしているように見られていたと思う。コスモ夢舞台の趣旨を理解していただくには時間がかかるものです。

ふくろう会会員の仲間によって小さな夢つくりが11年かけコスモ夢舞台はつくられてきた。労力とお金を出し合って此処まで来ました。何が素晴らしいか、それは参加してくださった方が見返りを求めてこなかったと言う事です。私はこれだけやったのだから見返りがほしいと言う方が無かったからこそ、ここまでやれたのだと思う。集った人間が素晴らしいと言う事です。
  一般的に見返りが品物でなかたかったら、誰しも自分の名誉や評価がほしいものでしょう。仲間はそれぞれに自分の存在意義はありましたが、そんなに自己主張はなかったと思う。友と夢をつくるということに意義があったと思う。そんな仲間に支えられてきた。
  ここがどこにでも見られない仲間であると思えるのであります。分野が違っても暗黙のうちにお互いの存在を認め合ってきました。皆、それぞれが居てくれなかったら、成り立たなかった。それぞれの役割がありましたが、私は誰が一等としなかった。

変革はよそ者、ばか者、若者ができるという言葉を度々聞きます。仲間は年齢的に若者とはいえませんが心はみな若者です。ここで言うばか者とは見返りを期待しないで行動する人間の事だと思います。すると仲間はみな地域変革者に当てはまります。

「なぜ仲間はコスモ夢舞台つくりに参加するの」聞かれたら私の立場から言うと「こんな見返りを求めない人間の中にいて動いてみると、自分が感動するものがあるからだろう。旗振る人間が何を目的に進でいるかそれを見極める自分の力があるからでしょう。」そう応えます。こういう人間とばかりつく付き合っていると、それが全ての人に通用すると思ってしまいます。世間ではそうではありませんことも心に留めておきたいものです。

地域を巻き込んでと言うけれども資金があってやっているものでありません。そうした中で積み上げてゆく事はなかなか時間がかかるものです。いろんなものを混ぜ合わせて行く感受性も必要だと思い知ります。地域の方に信頼されるのも時間がかかりますが一歩一歩前進したいものです。
  私には派手な地域おこし企画はできません。あるものを生かし小さくとも形あるものをつくり、仲間や心ある方と語り合い本物を見つめてゆこうとする空間つくりでしょう。それが楽しいものです。