2008.03.11
ノルウェー大使館レセプションで上京
(皆さんありがとう)
佐藤賢太郎

EUジャパンの古木修治さんからノルウェー大使館レセプションへの招待を頂いた。初め諸事情によりためらっており私の代わりにふくろう会の会員希望者にとお願いいたしました。しかし積極的参加希望者がなかったように思えた。

私は古木修治さんのご好意に対し答えなければならないと心を切り替え自分ひとりでも行くことにした。そして遠慮しながらも私はふくろう会の有志に電話しました。皆さんめったにない機会と言いながら参加者が14名になりました。また連絡しなかった方に申し訳なかったのですがご迷惑かとの配慮からであります。

当日、午後7時EUジャパンフェスト日本委員会のスタッフが受付をしているノルウェー大使館に揃って入った。古木修治さん、大使ご夫妻が明るく快くおで迎えしてくださった。参加者の半数が外国人と聞きましたが英語でオーゲ・バーンハルト・グルットレ大使のご挨拶、古木修治さんのソフトなご挨拶に笑いでスタートした。私は英語が解からなかったので笑えなかった。でもニコニコして立っていました。大使とその奥さん(日本人)は腰が低く笑顔でとってもいい雰囲気を作ってくださり和やかにレセプションが始まった。古木修治さんとの人間関係が裏にあったあることなのだが。ヨーロッパ流のレセプションなのか、いいところは学ぶことにしようと思った。

何かをテーマに話し合うでもなく、めいめいが交流しあっていた。ありがたくも古木修治さんのお心使いによっていろんな方を紹介していただき、熱く語ることができました。私は古木修治さんは多くの方と接客に追われていたがその人脈の深さをはじめて目の当たりにしました。

昨年EUジャパンが支援された芸術グループの作家も集っていいました。早速、里山アートの話をさせていただけたことはとても有意義であった。古木修治さんは今年の里山アートの充実にそのグループ有志との接点を以前から呼びかけてくださっていたのですが、ようやく実を結ぶことになりました。

私は美味しい食事をするまもなく、一人でも多くの方と語り合っていましたが、御沓一敏さんは当日の写真を撮ってくださり、コスモ夢舞台の資料を持参してお渡し、懸命に説明してくださっていたようだ。心得ていることはありがたかった。仲間の方はそれぞれ誰かとコスモ夢舞台の話をされていたのだろうが私は会員有志の方とはほとんど会話することもないまま終了を迎えた。ともかく参加してくださった仲間に喜んでいただき本当に良かった。桃源郷コスモ夢舞台実現に会員は毎年会費を払っていただいていますが、その特典は何かと聞かれたら、一人一人認め合いながら、純粋に夢を語り合う場があることそして、ボーナスのように大使館レセプションに参加させていただくこともあることでないか。

コスモ夢舞台がなぜ貴重な存在なのかそれは会員各位が向上心を持って意識していただくことに委ねられるが、そのヒントに今回はなったのかと思う。そのチャンスを下さった古木修治さんに感謝いたします。原点は動いてこそ感動はやってくるであった。

さて私が関東から郷里に居を移して大きな変化に対応しておりますが会員各位のもそれぞれ変化はやってきています。当初立ち上げの頃からあるいは途中の方、皆それぞれ大切な方であります。しかし最近会うことも少なくなってしまい、その心のうちはどうなのか気がかりでもあった。そうした方々とレセプションの翌日から精力的に面会することした。

レセプションの夜は遠藤孝士さん宅に泊めていただいた。気楽に快くいつも泊めてくださる。いまや関東のターミナルステーションになっている。遠藤さんは今年古代蓮をコスモ夢舞台の豊実に咲かせると輝いている。その花の咲くときが楽しみである。

翌朝朝4時30分蓮田の朝起会に顔を出し、高田明さんと再会6時朝食を共にし語り合う。その後、気がかりな藤間七郎さんを訪ねた。雄飛航空株式会社を立ち上げ大きな会社組織となってふくろう会行事参加もままならなくなった。何せ一機3億円のヘリコプター初め高額なものばかりをそろえる、その維持たるものは並たいていでない立場になってしまった。社長としての経営は今や大変なものである。私は藤間七郎さんに大変お世話になった方でもあり、遠のくことに寂しさを感じられ、ともかくこの機会に挨拶に行こうと事前に電話をしていた。どんな反応であれ誠意を示すことしかないと思った。お互い話はとても盛り上がり大きな声で笑いあった。心より喜んでいただいた。来てよかったと心より思った。そして彼は次回に仲間の会合にも参加しようと言ってくださった。

その足で東京の芝公園に向かった。ギリシャ旅行会社社長平島さんに会うためである。来年3月仲間によるギリシャ旅行の計画を立てた。その下打ち合わせの為だった。奥さん同席で昼食を頂き話し合った。

リオシスさんにギリシャ語で私の意思を伝えていただきたいとお願いしましたら、快く受けてくださった。さらに「ギリシャからの手紙」これを日本の知人のテレビ局にもって行きもし佐藤さんがよかったら、再度現場撮影で放映していただこう。面白いよと言っていただきました。実現するかどうかは解からないがこんな夢を語りあう時間がもてたことは楽しかった。生き方考え方がとってもいい「今、佐藤さんは生き生きしている」と奥さんから言っていただきました。

さてそれから急いで今夜の宿泊先である鈴木隆雄さん宅に向かった。今回レセプションに参加されないので会っておきたかった。彼は今年3月で退職ということもあり、今後について話しを聞きたかった。鈴木隆雄さんと酒を交わしながら出会いから話が進み今後どうするのとなった。彼は再就職を考えていない、コスモ夢舞台にかけてみたいと奥さんの前で言った。つまり豊実に滞在する生活を体験したいと言うのだ。以外でもあった。私はコスモ夢舞台の建物は出来てもそのソフトはまだは出来上がっていない、御沓一敏さんとローテーションを組んでやれるところまでやってはと言った。もし鈴木さんがレセプションに参加していたらこんな話し合いもなかっただろう。

翌朝又4時に起きた、それは同じ久喜市に住んでいる会員の宮川さんに会う為であった。この方にずいぶん会っていない。これも寂しい限りであった。私が蓮田に住んでいる頃は毎日鶏の世話をしてくださっていた。急がしそうにしている宮川さんに会うためにはやはり朝起会に出向くしかない、歓迎されないかもしれないがあえて行動した。

動いてみなければ解からないものです。なんと鈴木さんも朝起会に同行して下さった。行ってみたら会場の皆さんに大歓迎していただいた。ことに宮川さんの奥さんは「どうして主人は佐藤さんについて行くのか」それまで疑問、不信の節もあったようでした。しかし今回和やかにもその誤解も少し取れたようでした。宮川さんと意思の疎通がとれたことは嬉しかった。鈴木さんがレセプションに参加できなかったので運ばれたのです。この絶妙な不思議さ。全てよしと受けることの大切さを改めて思った。

こうして最大限に動き回った2日間であったが郷里に帰る日になった。私にはまだ仕事が残っていた。トラックに2トン満載にして石を持ち帰ることである。遠藤さんが手伝おうかと言ってくださった。そして時崎庸二さんは私に届けものがあると蓮田のアトリエに来てくださった。昼頃まで荷物の積み込みを手伝ってくださった。時崎さんに遠藤さんと昼食をご馳走になりお別れし夕方無事着くことができた。なんと無事着いたのかとお二人から心配してくださる電話があった。私は安定もお金もないがこんな友に囲まれている幸せを感じました。こんな友がいれば素晴らしい夢舞台もきっとそのうち作れる.。
  そして次回よりこのよぷな招待状を頂いたら、参加不参加は別にして遠慮なく連絡を取っていただこうと思った。