2007.11.21
賢太郎さんの上京
森紘一 

 豊実の里山アート展も15日に無事終了し、作品の搬出と所用を兼ねて上京された賢太郎さんと19日(月)、20日(火)と行動を共にした。

 1119日(晴れのち小雨)
 東京の街並みも、ここ二、三日の冷え込みでにわかに枯葉が舞いだし、晴天とはいえ日かげを吹き抜ける風は冷たかった。賢太郎さんと東京駅で落ち合い、地下鉄の半蔵門駅に着いたのは11時半だった。
 EU・ジャパンフェスト 日本委員会には、今年も多方面にわたりご支援をいただいたが、訪ねるのは賢太郎さんもわたしも初めてだった。事務局長の古木さんに、わざわざ出向いていただいたのには恐縮した。オフィスビルは駅から徒歩3分の至近距離、麹町小学校のむかいだった。

 長谷川さん、箱田さんに笑顔で迎えられ、案内された会議室の窓側には、賢太郎さんとギリシャを結んだ「ゴルゴーナ」シリーズの女神像が置かれていた。
 来年、5回目を迎える里山アート展をどうするか。古木さんと賢太郎さんは、はなから本題に入っていった。図録の制作案、プロ作家への呼びかけ、外国人作家の招聘方法など話題は多岐に及んだ。鹿児島県志布志市のやっちくふれあいセンターやセンツァ フロンティエーレの事例は興味深く、参考にもなった。今一度、原点に返って「何故、里山アート展をやるのか」、コスモ夢舞台の考え方や趣旨の徹底も大事なポイントになりそうである。

15回目というセンツァ フロンティエーレ(イタリア語で境界線や国境をもたないという意味)展の東京会場へは、箱田さんにご案内をいただいた。東西線神楽坂駅に近い新宿矢来町のギャラリーは、喧噪を避けるかのように静かな裏通りにあった。お目当てのTさんは不在だったが、会場にいらした会員のHさんは新潟のご出身ということで、賢太郎さんも熱心に里山アート展を語りはじめた。日本とイタリアを結ぶこの美術家集団の自主企画・開催という活動ぶりは、その精神性が支援者に高く評価されているようで、立派な図録からもその充実ぶりがうかがえた。
 さて、我々の里山アート展は、TさんやHさんから魅力あるイベントとして共感していただけるだろうか?

 賢太郎さんの上京に合わせて、先月立ち上げた東京ブロックの例会が、今夕、浦和で開かれることになっていた。地下鉄とJRを乗り継いで浦和に着いたのは、定刻の5時半ぎりぎりだった。馴染みの「魚民」には、森幹事長、大塚さん、鈴木さん、御沓さん、遠藤さんが見えていた。例によって乾杯を繰り返すうちに、渡辺さん、大内さん、古屋さん、時崎さん、成田さん、お久しぶりの高田さんと本日のフルメンバー13名が出そろった。

里山アート展の無事終了と来期の「コスモ夢舞台ビレッジ」構想が賢太郎さんから述べられた。建設作業が一段落した来年は、コスモ夢舞台のイベントや里山アート展、和彩館の体験学習など、それぞれがリンクするきめ細かいスケジュールが要求されそうだ。
 
自分たちの桃源郷に他者を迎え入れる喜びとは何なのか?それに伴う受け入れ態勢やふくろう会々員の対応も充分研究していく必要がありそうだ。出席者がそれぞれに語った感想や意見はさまざまだが、コスモ夢舞台やふくろう会への熱い思いに温度差はなかった。
 渋谷経由で菊名に着くと、小雨がぱらついていた。ほろ酔い気分も手伝ってか、寒さは感じなかった。

1120日(晴れ)
 8時半に家をでた。通勤時間帯だったが、都営三田線に乗り入れる目黒線の白金高輪あたりで二人とも座ることができた。白山駅から徒歩5分の東洋大学キャンパスには10時前に到着した。日本グリーンツーリズム・ネットワークセンターの代表理事を務める東洋大学の青木教授の部屋は2号館の7階にあった。

 笑顔の青木教授と賢太郎さんは、さっそく121日、2日に開かれる東京大会の打ち合わせに入った。賢太郎さんはパワーポイントに「アートと地域おこし」「体験型教育」の2本を用意していた。賢太郎さんの説明に納得顔で頷いた青木教授から提案があった。初日の分科会は6テーマ(各会場30人程度)に分かれているので、「体験型教育」の方はマキ子さんにお願いできないだろうかということになった。わたしも、これには大賛成した。

すかさず、青木教授からは、ふくろう会の皆さんにも応援部隊をお願いしますと、ハッパをかけられてしまった。わたしからも、幹事長に動員のお願いをしなければならないようだ。都市との交流はコスモ夢舞台のテーマでもあり、我々にとっても格好のPRチャンスとなりそうだ。
 
 11時半頃、三田線の白山駅で賢太郎さんと別れた。雪囲いが終わっていないという賢太郎さんは、豊実の空模様を気にしていたが、この二日間、絶えず口にしていたのは、これからのコスモ夢舞台とふくろう会のことだった。
 帰り道、半蔵門の日本芸術文化振興会へ立ち寄った。第4回里山アート展&里山アートシンポジウムの活動実績報告書と助成金の支払申請書を提出した。わたしもまた、来年の5周年企画が上手く運ぶようにと意を新たにした次第である。(終)