2009.02.18
友遠方より来る
佐藤賢太郎

2月17日、埼玉からふくろう会々員の森英夫さんが、雪の降る中をわざわざ日帰りで豊実にやってきました。その目的の一つは、私と家内と母とゆっくり話してみたかったのだそうです。何時も作業に追われて、そのあとは仲間と酒を酌み交わし疲れて寝てしまうので、最近は個人的に話をすることができなかったので、とのこと。

私にしても、ホームページに掲載している内容とその現実を体感していただくには、いい機会ではないかと思った。私が原稿を書けるのは、仲間がいるからであるが、もう一つは生活実感だからだと話した。その日は折からの大雪であったが、森さんをクレソンの田圃に往復40分歩いて案内した。愛犬2匹と家内と森さんそして私は雪降る中をあるくと。すると森さんは「こんな日に来てよかった、きれいな雪景色を見られたよ、でも毎日ここで生活をしていたら大変だろうな」と感想を言った。

さて、話はお互いの夫婦や親との関係などにおよんだ。お互いに家内なしにはやってゆけない現状だが、仲良くするというのは難しい。私と森さんでは、そこのところの表現が違う。英夫さんは、「お前がいるから成り立っているよ」と言うそうです(奥さんから言い過ぎといわれることもあるそうです)笑い。私の家内はすかさず、「賢太郎さんはそういうことは言わない」(気に入らないということです)と言った。英夫さんは、「言葉に出さないだけで、最近はすごく変わってきていると思う」とホローしてくれたが、現実は深刻なのです。ホームページを見て、「奥さんがよく対応している」と仲間の一人が言ってくださいましたが、家内なしで人を受け容れることができない事はよく分かっています。私一人でやっているなどとは一言も言っていませんので、お許し願いたいものです。
   ともあれ、こうして尋ねてくれる友がいることは人生の財産だと思う。

さて、関東にいた頃と比べて大きく変化したのは自然環境だけではない。幅広い人との付き合いとその対応である。コスモ夢舞台を前進させるには、ふくろう会の仲間(それだけでもなかなかの個性派ぞろいですが)への対応ではすまない状態になった。家内や母、村の方、そして行政やマスコミへの働きかけ、さらに里山アート展の作家たちやお世話になっている古木修治さんや遠藤由美子さん、体験学習の中・高生や外国人、和彩館のお客様等々、まさに千差万別、多士済々の顔ぶれなのです。

3年前まではなかったことですが、一挙にこうした対応に迫られているといった状況です。この変化に対応をするには、私自身の修正も必要になってくる。いやが上にも、人間が鍛えられる機会を与えられたというのが正直な感想です。

人はそれぞれの価値観を持っていて、自分と同じではない。だが、共有できる部分はあるので、その共有価値とうまく付き合えあたらよいことなのだ。皆一緒などということはありえない、仲間内でも時たま食い違いが出ることもある。真面目であることはとても必要だが、それだけでは人間関係が難しくなる。持続性を保つには、どちらも柔軟性が求められ変化してゆくことが必要になる。

これからのコスモ夢舞台、ふくろう会会員との対し方についても話した。ふくろう会の仲間は、今までもこれからも欠かせない大切な存在であることは言うまでもない。しかし、スケジュールを組むにしても私が企画して決定する。皆で話し合って、今年はこうしようと決めたのではない。それはできないし、今までもそうしてきた。   

コスモ夢舞台の一年間のスケジュールにしても、皆さん合わせてくださいとは言ってはいない。参加できるところで参加していただく、それでいいのではないかと確認できた。

仲間が集まったときにだけやるのでは、これだけ大きくいろいろなことを成し遂げてゆくことは不可能であるし、地元とのつながりがいつまでも深まらない。自然が相手のコスモ夢舞台のイベントを季節は待ってくれないということもある。

思えば10年前は、私も仲間と一緒に来て建設作業をし、関東に帰るという繰り返しで、地域との連携などできる余地もなかった。

   今はふくろう会の皆さんが来られなくても、よそから集まった方や地域の方を頼みにイベントを組むことを始めている。里山アートアート展の後片付けにしても、最後は自分が責任を取ることなしにはできない。そこには当然、地域との連携が必要となってくる。これが自然の流れなのだろうと思う。