2012.07.03
今年にかける意気込み
佐藤賢太郎

田んぼ夢舞台公園化を目指すことはすでに伝えておりますが、この秋はアッという変化を見て頂くことになります。外に向かって見える形が大きく変わるのです。

そこに関われる人生はそうざらにはなく、きっと汗を流した分だけ自分史に強く残るであろうと思っております。

私も全力でそれに向かっています。夢物語は夢ではなく、現実化しています。その実現に大野賢二さんは力を貸してくださり、懸命であります。中途半端ではできないところに来ています。やる気のある方で向かうしかありません。

企業の仲介ご協力をいただき、コンクリートミキサー、ポンプ車を導入して道を作ります。私は石の門を搬入に蓮田に走ります。それはミキサー車に合わせるためです。とても忙しくなりました。

そして石夢工房の味噌蔵が雪で壊れてしまい、その修復改築を古材で大野さんにお願いしています。味噌蔵は宝となる重要な施設であり、今度こそ雪が谷に落ちる建物を作ろうとしています。

それこそ循環・再生・創造です。物は生かして最後まで使うという江戸時代の生き方が見直されています。それをコスモ夢舞台は実践しています。古材を使うということはとても難しいのです。

頂くのも人間関係があってのことです。しかも、ばらばらの寸法、穴が開いていたり、重かったり、それを使いこなせる大野さんのような人がいて初めて古材が生きるのです。

大工さんはそんな材料は絶対につかわないのです。新建材を使いきれいに仕上げる、当然お金がかかるからそんな選択肢はない。そうした限定の中で行っています。一方、建設業者に素早く協力依頼もしています。

大野さんとは、夕食時本音の話も出ます。かつて息子からも奥さんからも、佐藤さん個人のために何でそこまで動くのかと言われたそうです。大方の仲間も、そのような経験もあるのでしょう。勿論、大野さんは私個人のためという動きではないと語っています。どうして自分は豊実にこんなに通えるか。「自分のやりたいことを自由にさせてもらえる喜びがあり、創造する楽しみがある。それに佐藤さんは俺のような一筋でいかない人間を含め、仲間や地域の方も動かしている。そこに敬服している。自分にできることで何とか力になりたい。そして、こうして好きな酒を飲ませて頂ける」それが大野さんの原動力だと言っています。

私の大野さんにできる償いは、私の采配でできることしかしませんと断言しています。できないことはできない。それが不満なら自然に来なくなるでしょう、それでいいのです。すべて流れの中で、バランスをとっていきます。

建設を一人でしていた夕方、フォークリフトの前で大野さんはぐったりしていた。青い顔をしていたので「大野さん相当疲れているみたいだね」というと「疲れた、もう限界だ。今年か来年で俺の賞味期限がなくなる。力がなくなっているから、とても疲れを感じるよ」そんな言葉が返ってきました。

ところで、すべてが建設作業でコスモ夢舞台は成り立っているわけではない。大事なのは食事である。これは、佐藤マキ子なしには考えられない。食があって和ができるのです。今や切実に、この重要性を感じている。大野さんにしても、佐藤マキ子の食事があって働けるのである。この食に関わるものは、女性会員の役割でもある。

コスモ夢舞台のようには、なかなかできることではないと確信しています。