2011.04.25
自分も来たバスへ乗ってみる(2
御沓 一敏

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   早朝、3人で大江さんのお宅の近くの海へ続く大きな川の土手を散歩したが、白鷺が飛び大地震の爪あとさえ見えない情景を見た時、あれは現実にあったことなのだろうかという錯覚に落ち入りそうになった

たぶん、昨日お見えになれなかったのであろう、大江さんと一緒に活動をされているという女性が翌日の朝食の時間帯にお出でになりまた、ミニ懇談会が行われた。

その後は、昨日、お会いした仙台箪笥の木村さんのお宅と工場を拝見する。さらに帰り道に当たる最も被害の大きかった野蒜地域を案内してくださる。勿論、単なる見学ではない。

私たちがお伺いした石巻の地域より、野蒜地域の方が被害が大きいという意味が現地を訪れてはじめて分った。残されているのは建物の基礎部分だけで、瓦礫の欠片さえもないのである。

また、野蒜地域はかつて、ホテルや民宿が立ち並ぶ有数の観光地であった。その中の一つの民宿の奥様とは豊実でお目に掛ったこともあり、その方も亡くなられた伺い、ただただご冥福をお祈りするしかなかった。

また、この時期とても入れるような場所ではなく、何故大江さんは我々をここに案内してくださったのだろうか。漁業と牡蠣と海苔の重要な産地の壊滅的な打撃を放置すれば、日本の食文化まで失われかねないと危惧される大江さんのこと、機会があれば心ある人にとにかく伝え、時間がかかっても復興しなければならないというおもいがひしひしと伝わってくる。

また、その現場から少し入った小高いところにも集落があり、何事もなかったような日常的な生活が営まれていた。海側のことに無関心ではないのだろうが、温度差があるとう。

大自然とは、人間とは何なのかと自問自答していたところ、「被害に遭わなかった方は元気でいてくださり、何らかのご支援をしていただければ良いのです」。と明るく元気に言い切る大江さんに逆に励まされてしまった。

行政ウーマンらしからぬというか、枠から飛び出して活躍される大江さん、自ら体調が思わしくないのにもかかわらず佐藤さんの健康を気遣う高橋さん、EU・ジャパンフェスト日本委員会事務局長の古木様、奥会津書房の遠藤様、コスモ夢舞台の佐藤さんの人的つながりとそれぞれに属するスタッフの役割や働きがあって見事に機能した支援活動であることを目の当たりにした。

佐藤さんは作業の合間をぬって支援物資をお渡ししていたようだが、具体的な要望に叶ったものなので大変喜ばれたという。

日本中でいま、様々な支援活動が行われているが、人的つながりがなければ活動も一過性に終わりかねないし、細やかな支援は難しいとおもった。

 それにしても、10数年間、コスモ夢舞台の行事は全て好天に恵まれてきたが、今回もジンクスは破られなかった。早朝、3時頃まで土砂降りであった雨が上がったお蔭で、予定以上に作業が進んだ。ここでも見えない不思議な大きい力に見守れていると思った。

 余談になるが、ある対談で佐藤さんの事を良い意味で「人たらし」と表現した方がいる。大江さんも同じだが、「まちおこし」や「事おこし」の達人はまた「人おこし」や「人つなぎの」達人でもあるとおもった。

 ともあれ、行かせてもらって良かったなということを感じた2日間である。