2009.08.30
小さな再生(3)

御沓一敏

自分で言うのもおかしな話だが、子どもの頃より絵心は多少あると思っていたが、「書」についてはさほど関心はなかった。

ところがコスモ夢舞台で看板書きをしていると地元の書家にたまに褒められることがある。素人に対する励ましかお世辞だろうと思うのだが、内心悪い気はしない。
   不思議なもので自分でも段々そちらへ興味を持つようになると、コスモ夢舞台以外からも声がかかってくる。

過日、ふくろう会々員のパン工房の大きな看板文字を書かせてもらった。さらに今度は、我らが棟梁から那須のギャラリーの看板文字を頼まれた。対象となる板は豊実からもらってきた松材で2.5メートルという。この大きさになると事前に練習するわけにもいかず、部分的に試行錯誤を繰り返していた。

その様子を見ていた家内が、ついでに取替え時期のきている我が家の襖に文字を書いてみたらと言う。願ってもない練習台で、駄目もとという気持ちがあるから大胆に書けたため、想いの外、気に入ったものができた。こうやって活かし方のコツが分ると、世の中には捨てるものが殆どなくなる。

そうこうしているうちに、コスモ夢舞台より久しぶりの依頼がある。古い船板を焼いたものに「ビオトープ」の説明を白文字で書くという看板だ。ひび割れしたデコボコの板にペンキで文字を書くのは素人にとっては至難の技だが何とか仕上がった。

こうやって皆様から投げられたものが自分にとってちょっとハードルが高いものであっても、受け入れていったとき、思わぬものが引き出され、物だけでなく、結局、自分自身が再生させてもらっているのだなとつくづく思った。