2009.06.11
豊実の田んぼ
森紘一

 6月8日から10日にかけて、体験学習の伴走をかねて豊実へ出かけた。 

陽ざしが出ているわけでもない曇り空だったが、アート展会場周辺の田んぼに植え込まれた小さな稲が風に揺れると光って見えた。                   
   その水面近くを、ときおりツバメが行き交っている。田んぼの畦道は半分近く刈り込まれ、その奥にはカラフルなハート型の立体造形や赤い木製の立体造形が並んでいる。昨年秋からそのまま居座った作品群や水芭蕉の池のある風景は、賢太郎さんではないが、きれいに整備された田んぼ公園といった趣である。

会場の線路側と川沿いの遊歩道側に眼を転じると、ここは野放しの雑草畑である。桃源の小径から水鏡の小径に続く大沢畑周辺も、柳やツタの絡んだ枯れ木は、昨年撤去されているものの、川面をのぞむ景観は雑草やアシで覆われている。これはもう、人海戦術で対処するしかなさそうだ。

今や「和彩館」の名物となった十割ソバで昼食をとった後、野沢の叔父さんと田んぼの畦道の残りを刈り込むことになった。                     
   はじめて使ったナイロンコードの草刈り機はすぐれものだった。刃の付いた草刈り機より軽量で、石や堅い木に触れても衝撃はなく、狭いところも軽快に刈り込める。田んぼの畦道がぐるりと坊主刈りされると、いかにも涼しげで稲も元気そうにみえた。

 しかしよく見ると、それぞれの田んぼの稲の育ち方が微妙に違う。同じ山から引いた水で、なぜだろう? 水の温度差だとは、賢太郎さんに言われるまで分からなかった。確かに、水芭蕉の池からやや温まった水の流れ込む田んぼの稲は、山からの水がそのまま流れ込む田んぼの稲より大きくみえる。
 そこで、育ちの悪い田んぼの方に貯まった水が流れ込むように、もうひとつ別の池を掘りはじめたところだという。

   今年のコスモ夢舞台のテーマのひとつは「田んぼ再発見」だが、米づくりにとって、水の管理の大切さをあらためて学習したおもいがした。