2009.9.24
ビオトープと土木作業
森 紘一

9月21日(月・敬老の日)くもりのち晴れ

 シルバーウイークの交通渋滞は予想以上で、中日とはいえ首都高、東北道とも断続的にノロノロ運転が続いた。磐越道に入るとようやく流れはスムースになり、風に揺れるススキとコスモスの向うに黄金色の稲穂がひろがる田園風景を楽しむことができた。
 今回の豊実行きは、10月10日の「奥阿賀・田んぼ夢舞台祭り」と同日から一ヶ月間開催される「第6回里山アート展」、「ビオトープ・コスモ夢舞台」つくりの準備作業が主目的で、久しぶりに子供を含む総勢11名の集結となった。

   あのエレルヘイン少女合唱団が歌った特設ステージが、今回は田んぼ祭りのメインステージとなる。さっそく、桐山さんとふたりでコンパネの箱床6枚を乗せる丸太と角材の土台部分にコールタールを塗ることになった。                 
   先着組の森幹事長、大塚さん、鈴木さん、時崎さんは‘メダカの棲む小川つくり’の土掘り準備にかかっていた。                          

土曜日から豊実に入った大野さんは、アート展会場の左手前に物産即売の小屋を、あとは屋根を張るだけというところまで仕上げていた。さらに、石夢工房前の急斜面の田んぼへ登る道づくりをはじめているという。                          
   親戚筋の葬儀で夕方から津川に出かけるという賢太郎さんも、アート展の準備に会場入りしている作家先生たちと我われの間を忙しく行き来していた。

   マキ子さんと時崎さんの奥さんが用意してくださった夕食の席は、賢太郎さんは不在だったが賑やかで愉快だった。8時半を過ぎて賢太郎さんが戻ると、先日の鳥の演劇祭の報告やコスモ夢舞台の活動との比較、来年のギリシャツアーの予定など話題も広がってさらに盛り上がった。 
   力仕事の疲れを桃源の湯で癒し、仲間と杯を交わしながらこれからのコスモ夢舞台とそれぞれの夢を語り合うひと時は、我われに共通する元気回復の源かもしれない。
 「教育現場にいる現役として、体験学習を4本柱の一つに挙げているコスモ夢舞台でも自分のテーマとして取り組んでいきたい」と語る幹事長の表情は明るく力強かった。

9月22日(火・国民の祝日)快晴 

 物産即売所の屋根に垂木を打ち付ける朝飯前のひと仕事のころは、明け方のひんやりとした空気が残っていた。その後、気温は急上昇して汗ばむほどの陽気となった。 

朝食後、くつろいでいるところに御沓さん夫妻と5才のお孫さんが到着した。地元の小学一年生Kくんとお孫さんのご対面は5月のGW以来だそうだが、都市との交流ジュニア版が着実に育っている姿が微笑ましい。

   物産即売所の屋根に波板を張る作業は何とか午前中には完了した。小川つくりの土木班も角材と丸太を使った土止め工事の片側は終わったようだ。御沓さんも、黙々と作品の看板つくりを石夢工房で進めていた。
   昼前、賢太郎さんとマキ子さんは親類の結婚式に出掛け、入れ替わるように魚屋のTさんが会津若松から来訪された。昼食はサンマ、イワシ、サバと新鮮な刺身三昧だった。このサプライズはマキ子さんの心配り、と後で知った。

賢太郎さんによると、ビオトープとはビオ(生き物)のトープ(住むところ)というギリシャ語で、自然本来の生態系の保たれた空間という意味だそうだ。人の知恵と手でこれを維持していこうという自然思想はドイツで育ったようだが、ふるさと原風景つくりや景観つくりを進めてきた我われの活動もここにつながってくる。        
   ビオトープ・コスモ夢舞台つくりは、地球規模の環境問題対策の先端であり原点である、ともいえるようだ。                           

   今回の‘メダカの棲む小川つくり’は、こうした背景から出てきた。さて作業の実態はというと、治水のための土木作業、土木工事でまさに力仕事。森幹事長、大塚さん、鈴木さんは泥まみれの笑顔を輝かせていた。 食の問題も我われの大きな関心のひとつである。例えば、賢太郎さんのご先祖様が米つくりに励んでいたという急斜面や、今は陽も当らない荒れ地の田んぼを復元・再生してみようというのも我われの実験であり、新しいオリエンテーリングとしての試みである。
   石夢工房を見下ろす小山の、大野さんが再生した小さな田んぼはその斜面を下から上がってくる道がない。そこで、階段とスロープで道をつくろうということになった。これも、ビオトープ・コスモ夢舞台つくりのニューバージョンである。

階段に敷くコンクリートの石は、例によっていただきもので横幅が長すぎる。ワイヤーの入った石をコンプレッサーで3枚に切る作業と、これを運び上げる作業も力仕事そのものである。桐山さんとわたしは、非日常的な肉体労働に没入するほかなかった。   

左下から斜め右上に伸びる石を敷いた階段とスロープは、逆くの字で左に折れて田んぼに届く。小屋の三角屋根と稲掛けの見えるその風景は見事に額縁に納まって、まるで一枚絵のアート作品になっている。
   賢太郎さんとマキ子さん抜きの晩餐は、Tさん、時崎さんの奥さん、久美子さんたち賄班のご苦労のお陰ではじまった。

   6時半過ぎ、賢太郎さんとマキ子さんが戻ると、先日のエレルヘイン少女合唱団が田んぼで歌った伊藤やさん制作のビデオが上映された。当日、来られなかった幹事長と大野さんが感慨深げに見入っていた。

今年の里山アート展に参加予定の作家先生についても賢太郎さんから紹介があった。
   コスモ夢舞台の活動そのものに、興味と関心を寄せてくれる作家がふえていることに感謝したい。我々としてもできる限り、お手伝いやご協力をしていきたいとおもう。

9月23日(水・秋分の日)小雨

   昨日とは打って変わって、どんよりとしたくもり空。降り出した小雨は昼近くまで止まなかった。
   ビオトープ・コスモ夢舞台つくりの土木作業は、小雨の中でも行われた。階段づくりと小川つくりがほぼ予定通りに終了したのは昼すぎだった。            
   ずぶ濡れの身体を桃源の湯で流し、昼食をとってこれから戻ろうかというところに澤野県議会議員がひょっこりと来訪された。                              

   それから小一時間、有意義な円卓会議が自然にはじまった。これからのコスモ夢舞台をどう継続運営していくか、あるいは地元の支援者や後継者をどうやって育てるかは、我われの大きなテーマである。その点を澤野さんも心配してくださっていた。

   ふくろう会の皆さんと議員仲間との意見交換会や懇親会をやってみようかという提案まで出していただいた。ありがたいことである。と同時に、コスモ夢舞台が大きな曲がりかどにさしかかっていることを同席者全員が改めて自覚させられたひと時だった。