2010.09.22
本番前の豊実
森 紘一

918日(土)快晴

 午前中の用事が早めに済み、13時前には横浜の我が家を出たのだが、首都高から東北道に入ると断続的な渋滞は郡山まで続いた。          
   磐越道に入ると、紅葉にはほど遠い山々は青黒く、まだ稲刈の済んでいない田んぼの黄金色とのコントラストが鮮やかに映る。風景に魅せられていくほどに渋滞の疲れが薄らいでいくから不思議だ。                         
   豊実には薄暮に近い到着となったが、噂の石舞台は堂々たる貫録でアート展会場のど真ん中に坐して見えた。

大野さん、小宮さんはアート展会場手前の田んぼ夢舞台祭りで使われる楽屋の増築工事や周辺の草刈り作業に、隆雄さんは新しい杉林の会場整備に追われていたようで、桃源の湯の浴室で久しぶりの対面となった。

夜は、地元の古山さん、伊藤義孝さん、新会員の山口さん、作品の制作と設置に駆けつけた安部さんとお仲間の三人組と一緒に、アート展やコスモ夢舞台のこれからを、佐藤さんを囲んで語り合って大いに盛り上がった。

コスモ夢舞台がNPO法人となって、ありがたいことに地元を中心に7人の新会員が誕生した。そこで、これを機に会員相互の意思の疎通をどう図っていくか、これからの情報発信はどうしたら良いのか、改めて考えていく必要があると佐藤さんから声があった。

外への情報発信にHPは欠かせないが、同様に「コスモ夢舞台だより」は会員にとって欠かせない情報源であり、それぞれの意思表示の有効な通信手段でもある。気楽に投稿できるコラムや企画コーナーを事務局としても考えていきたい。皆さんの忌憚のないご意見や感想をお寄せいただくために、投稿ハガキを同封することも一つの方法として採り入れたい。            

それをまた、会員の声としてHPやコスモ夢舞台冊子で公表していけば、リアルで率直な外部への情報発信となりそうである。        
   次回の東京ブロック例会でも、皆さんにそのことをはかってみるつもりだ。

9月19日(日)曇り空

 今年の里山アート展は会場が分散している。メイン会場の田んぼと徳石大橋手前の杉林、石夢工房手前の棚田のあった斜面、さらに阿賀野川の川面である。当然、会場整備の手間暇も広がってしまったというわけである。また、メイン会場のビオトープづくりも、その環境整備には人手もお金もかかってくる。そのための助成金獲得はNPOになったとはいえ、コスモ夢舞台にとって直面する大きな課題である。

 第7回里山アート展の開催まですでに一ヶ月を切っている。周辺の整備作業には、今日も古山さんと山口さん、区長さんと地元の皆さんが熱心に参加して下さった。田んぼ夢舞台祭りに使う楽屋もほぼ完成した。その奥、阿賀野川沿いの杉林の枝降ろしも無事終了、視界が明るく広がった。                 

明朝は、作品を設置するために借りたユニックのあるうちに、ビオトープ周辺の畦道に使うU字溝を引き取りに、日出谷まで全員で出掛けることになった。

 明日は早いから早く休もうと言いながら、来年の里山アート展や大沢畑の整備に話が及ぶと、夕食後の団欒はまたまた盛り上がってしまった。今年は永久設置の作品もふえてきた。そこで、会場の奥にシーソーをつくって子どもにも喜んでもらおうと話が弾んでいった。          
   さらに来年は、里山アート展の会場は田んぼ公園としてブランコの設置も考えようと話は際限がなかった。

920(月・敬老の日)曇り空

 予定通り早朝日出谷に出向き、U字溝を運んで田んぼ夢舞台祭りに使う楽屋の横に荷を下ろした。                    
   早朝に浦和を発ったという森幹事長と大塚さんが現れたのは9時半ごろで、さっそく作業隊に加わっていただいた。

その後、安部さんの作品と佐藤さんの作品の設置作業をみんなで手伝った。安部さんと佐藤さんの杉の大木を使った作品は、会場中央の左右に据えられたゲートのようで存在感十分の見栄えである。

昼食後、一足早くわたしは戻ることになった。杉林の手前で、佐藤さん、大野さん、英夫さん、大塚さん、山口さんの五人組が別口のU字溝運びをしているところに遭遇した。                              

心苦しい気持ちを押さえて「お先に失礼します」の挨拶を残した。本番前の豊実はあわただしく、秋の気配が濃厚に漂いはじめていた。