2018.03.05
台湾に出発
佐藤賢太郎 

今、わたしは成田空港です。昨年、台湾からウーファーとしてWuさんがやって来られました。その彼と意気投合して、私は家内と台湾に行くことにになった。家内は実家の姉嫁を誘いました。なぜなら、自分の親を面倒見てくれた、そのお礼と思ったそうです。 

思えば、その前年にモロッコのウーファー、ラシェドさんが来られて、北アフリカのモロッコに行くことができた。彼はとても日本通でユーモアのある方であった。彼は当時60歳であった。Wuさんは33歳であった。 

そして今年は早4月から7月まで、すでに我が家に外国のウーファーが来ることになっている。これは、必然とは言わないものの偶然ではないと思います。

また、アメリカの大学の学位を取得するため、22歳で我が家を選んで来られる方がいるのも面白い。この年になり、こんな交流ができることは、とても楽しいものである。

さてWuさんは私が「なぜあなたは、ここを選んだのか?」と質問すると驚いていました。その質問には驚いたがその後、彼は大変感動してくれた。私の生き方に感動したのであった。

その彼は、若いのに初めの日のホテル代を払ってくれると言います。家族とともに食事をし、さらに彼はパーティーを開いて、台湾の友達に私たちを紹介してくれることになっているそうです。パーティーでは、私が稚拙な英語で話をすることになっているが、どうなるかわからないが面白い旅となる。 

さてフライトが遅れに遅れたが、私たちは台湾に着いた。Wuさんは迎えに来てくれた。空港から台北までは1時間ほど電車を乗った。彼が遠くから迎えに来てくれたことが分かった。そして、安いけれど、夕食は台湾で一番おいしい有名な食堂に案内してくれました。写真はその時のものです。

人間、主義主張はさまざまあっても、美味しいものを食べるときは、文句なしに誰もが幸せになるものです。

Wuさんは金持ちでないが、台湾でリッチな暮らしをしているという。まるで私たちみたいです。忙しいのに、私たちをこうして受け入れることでもわかります。生まれてから、どういう方と巡り合うか、これが死や生を決めていくものとも思いました。

今度、希望者を募り、台湾に案内したいと思います。まずこうして一日目が終わった。