2009.9.30
東京ブロック9月の例会から
森 紘一

 昼過ぎには陽ざしもあったのだが、曇り空からぽつりぽつりと小雨が降り出してきた。長袖シャツや上着姿が目立つわりには蒸し暑いくらいの29日(火)の夕暮れ時、浦和の例会には11名が出席した。

桐山さんのプロの腕前はさすがで、まだ記憶に新しいシルバーウィークの豊実のコピー写真を眺めていると、あのハードだった力仕事と充足感がよみがえってくる。

10〜11月の盛りだくさんなコスモ夢舞台のイベント参加者の確認をしながら、森幹事長もついそのことに触れて、「いやぁ、結構疲れたけど、あそこまでやれてよかった」と話が中断しがちだった。                           

こうした喜びを参加できなかった仲間や地元の人びとと、コスモ夢舞台に興味と関心を寄せてくださる人びとにどう伝えていくかは、我われの身近な課題である。

最近、コスモ夢舞台の活動の広がりや想定外の評価を意識してか、賢太郎さんは「佐藤賢太郎とコスモ夢舞台」というHPのタイトルを「コスモ夢舞台」に発展的に簡略化したいと発言されている。                              
   これが次の話題となった。出席した面々に異存はなかったが、「ふくろう会」という原点の呼称までコスモ夢舞台に統一する必要はないのではないか、というのが大方の意向だった。

同時に、「我われは、賢太郎さんのこの指とまれに賛同したわけだが、その方向性を達成するための方法や手段については、これからも大いに意見を出し合っていこう」という幹事長の声に一同頷き顔だった。

HPに掲載する原稿内容についても、話題になった。仲間うちの情報連絡やイベントの報告レポートも、不特定多数のネットユーザーむけに分かりやすくコンパクトにしていく必要がありそうだ。コスモ夢舞台の情報発信を全国区にしていく努力は、我われの新しい課題の一つである。