2010.04.03
ギリシャの正夢 その1「ゴルゴーナ」に会えた!
森 紘一

 アテネ国際空港に我われ13名が着いたのは、日付が変わったばかりの3月27日(土)の深夜。26日(金)に成田を発ってアムステルダム経由でアテネまで、フライトだけでも15時間という長旅だった。通訳兼コーディネーターの景子・カテリーナ女史に笑顔で迎えられ、我われは専用のマイクロバスで市内のヘロディオンホテルへ直行。翌日からのスケジュールに備えた。

 3月27日(土)。8時に朝食を済ませ、アクロポリスの遺跡を全員で散策。歓迎会で歌う予定の「さくら/さくら」を丘の上で合唱した。快晴で気分も高揚していたが、下の方から警備員らしき人に笛で咎められてしまった。                   

ホテルへの帰り道、3階建ての広々とした新アクロポリス博物館を見学した。昨年6月、アクロポリスの頂上にあった博物館から展示物をすべて移してオープンしたそうだ。古代のパルテノン神殿を飾っていたレリーフや彫像を眺め廻ると、いつの間にか最盛期のアテネに想いがとぶ。じつに楽しい贅沢なタイムスリップだった。

 11時半、バスターミナルから公共バスを乗り継いでオリンピアへむかうためホテルを出発した。5時間を超える道中は長かったが、アテネを離れるほどにのどかな風景が広がり、小さな街中に入ると人々の表情が間近に見えて飽きなかった。

 我われは、このオリンピック発祥の地で3泊することになる。夜はそれぞれに分かれて、投宿するオリンピアパレスのカフェテラスや近くのレストラン、タベルナ(食べるところなのに「タベルナ」という食堂)でギリシャ料理や郷土料理を味わった。

 オリンピアはどことなく見慣れた小さな田舎町で、料理もそこに暮らす人々にも親しみを感じた。

 3月28日(日)。アマリアーダからリオシス氏の秘書バジリスさんが、昼前に我われをバスで迎えに来てくれるという。その間を利用して、我われは朝食後オリンピア博物館を見学した。日曜日が入場無料というのは、日本でも見習ってもらいたいものである。  

博物館の中はまさに神話の国、「勝利の女神ニケアの像」や「ヘルメス像」がまぶしいほどに悠然と美しく輝いていた。

 アマリアーダ市の大型バスでバジリスさん夫妻がこぼれるような笑顔で降り立つと、賢太郎さんとの再会の喜びに拍手が沸いた。いよいよめざすは、ゴルゴーナの設置されているパルキ港である。ゴルゴーナの頭半分が見え出すと、バスの車内からは歓声が上がった。埠頭にはTVカメラと数人の新聞記者が待ち受けていた。

 港は風が強く肌寒かったが、ゴルゴーナと我われの感動場面をとらえようと、報道カメラのシャッターが激しく鳴り響いた。

 副市長のリオシス氏とパシリス・パパニコラウス氏も車で駆けつけてくださり、何度かの記念撮影のあとリオシス氏の歓迎スピーチがあった。

 “日本から遠路お越しいただいた皆さん、本当にご苦労さまでした。Mr.佐藤も再びここに帰ってきてくれて大変嬉しい。ゴルゴーナの制作にあたっては「海と神話」をテーマにMr.佐藤と話し合い、アレキサンドロスを待つ人魚像「ゴルゴーナ」となった。ゴルゴーナはMr.佐藤の作品であり、日本とギリシャの文化の「融合」であります。”景子女史の通訳によると、概略以上のような挨拶であった。

 夢にまで見たゴルゴーナは、当初の写真のように白く輝く肌色ではなかった。くもり空のせいもあるのだろうか、4年の歳月を経て幾分くすんだアイボリーグレイに見えた。しかし、イオニア海を臨むその容姿は、あたりの風景にも溶け込んで堂々たる存在感だ。初対面とはとても思えないあたたかさで、我われもゴルゴーナに包み込まれてしまった。 

「また会えてよかった」きっと佐藤さんはそう思っただろうが、マキ子さんをはじめとする我われの思いはひとつ、「本物に会えてよかった」だった。