2010.04.17
アクロポリスそしてオリンピアへ
鈴木隆雄

 コスモ夢舞台の念願であった「佐藤賢太郎とギリシャに行くツアー」が現実となった3月26日、成田空港へ向かう高速道路の交通渋滞に巻き込まれたが出発時間までには余裕があり、10分遅れで空港集合場所へ着いた。30分後にはツアー参加者13名全員が揃い、オランダ航空KL0862便に搭乗した。旅の始まりである。

 今回のツアーには大きな目的があった。観光を楽しむことはもちろんだが、4年前、佐藤賢太郎さんがEUジャパンフェストの紹介でギリシャアマリアーダに彫刻を制作する機会を得、単身で一ヶ月間滞在し、人魚の女神(融合)を制作した。その女神に会いに行くツアーである。

 オランダ・アムステルダム経由ギリシャ・アテネに着いたのは現地時間午前零時をまわっていた。トラベラーエージェント・マリソルのマイクロバスでヘロディオンホテルに着き、就寝したのは午前一時過ぎであった。

このツアーでマリソル随一のガイド景子カテリーナさんが案内していただくことになっていたが、お会いした瞬間、安心して楽しい旅になる予感がいっぱいに広がった。

景子カテリーナさんは、NHKで放映されていた世界遺産の紹介ビデオのガイドにも係わり、ギリシャの歴史はもちろん知識や見識も深く広く何よりもギリシャ語と日本語の通訳に助けられた。

 3月27日(土) 世界遺産であるアテネのアクロポリス遺跡の見学である。宿泊したホテルはこの遺跡のすぐ近くにあり、朝8時にホテルを出て緩やかな坂道を登り西門入り口ブーレの門に向かった。空はどこまでも青く、朝日がオリーブの木の葉を照らし、冷たい空気は日本の初夏のように爽やかであった。小高い丘の上に建てられたこのパルテノン神殿はアテナ神を祭る神殿で、幾多の戦火を経1687年ベネツィア軍の砲撃を受け大破したとガイドブックには書いてある。紀元前5世紀頃の状態に戻すという修復再建作業が今も続けられていた。プーレの門から遺跡群を経てパルテノン神殿の前に立つと、改めて壮大な歴史のロマンが胸にこみ上げてくる。また遺跡群の中でもエレクティオンの少女像が目を引いた。伝説上の王エレクデウスの館とされる南側に張りだした柱廊の柱として6人の少女像が立っていた。この少女像のオリジナル5体は新アクロポリス博物館に、残り1体は大英博物館に保管されているとのことである。展望台からはアテネ市内が一望でき、南側の城壁とも思える縁から眼下にデォニソス劇場、イロド・アティコス音楽堂の遺跡をみることができた。酒と演劇の神ディオニソスの聖域に造られたギリシャ最古の劇場で、毎年ここで“ディオニソス祭”が行われていたという。また、音楽堂では夏の間さまざまな演劇、コンサート、オペラ、ギリシャ古典劇が上演されているという。次に、新アクロポリス博物館を見学した。

午後、アテネから6時間余りかけて公共バスでオリンピアへ移動する行程である。

アテネ~コリントスからはイオニア海を右に見て高速湾岸道路をひた走り、エギオン~リオと対岸アンディリオンにかかる吊り橋を見、パトラ~アマリアダそしてオリンパスのホテルオリンピアパレスに着いたのは午後6時半頃であった。