2009.08.12                         
リトアニア紀行6                     
佐藤賢太郎

7月13日午後5時、コンテンポラリー・アート・センターで欧州文化首都主催のレセプションが開催されました。この会場では日本現代アート展も同時開催されていました。私もこんなところに招待されて作品発表ができたら面白いだろうな、と少しうらやましく思った。

さて3人の写真家も集合し、そしてポーランドから10時間かけて駆けつけてくれた日本の山形の撮影に参加した女性写真家や西会津国際芸術村の第一回参加者でもあるリストニア出身のアーチストも出席されました。ここでも佃会長、日本大使はもちろん挨拶されました。古木さんはレセプションの準備で、いろいろな方と挨拶され忙しく動いていました。

私にはふるさとの写真が、リトアニアで展示されていること自体が不思議でした。古木さんとのつながりでヨーロッパの写真家と出会い、今、ふるさとの写真を異国の地で眼にしているのです。「写真」を深く考えていなかった私も、写真が人と人、国と国を結んでいることを感じました。日本人には何の変哲もない写真を見て、外国人は何を感じるのだろうと興味があった。特にポーランドの写真家とは話したかったが、残念ながらその機会をもてなかった。    

私は新潟を撮った写真家には、なぜこの写真を撮ったのか事前に一人ひとり尋ねました。言葉は充分わかりませんでしたが、簡単に言うと、ハンスさんは構図に関心があり、アンドリューさんは過去から現在に変わり行く日本人の文化に関心があり、アウトゥーラスさんは、その国の文化を意味している食に関心があったようです。
   アウトゥーラスさんの味噌つくりの写真では、豆を煮ている写真が印象深く残りました。まるで動画のように、豆が釜の中で沸騰しているのです。
   ハンスさんは豊実の風景を見ながら、私の故郷に似ていて興味深いといっていました。私がリトアニアの町並みに関心を持ったのと同じように、ふるさとの山村風景は外国人には興味深く思えたのではないでしょうか。

豊実に来訪された写真家たちや西会津国際芸術村のキャスタスさん、さらにポーランドの写真家とも記念撮影をしました。

そんな中で古木さんが、大きい声で「賢太郎さぁーん」と呼んでいました。声の方に行くと佃会長が豊実の豆煮をしている写真を前に、「いい写真だね、映画のスクリーンのようだ」と言っていました。
   その写真には私も映っていました。「この佐藤さんの隣のおじいさんの顔がいいね」と言った後、「やっぱりこの顔のほうが(私の)が被写体としていいね」と言い直しました。私は「無理しないでください」といって、お互いに爆笑する場面がありました。

さてこのように、毎年ヨーロッパの欧州文化首都において日本の写真展が行なわれていたのです。来年、再来年開催地の方々も出席されていました。

その後、会場を代えて懇親会が催されました。いろいろな方が集まっていました。参加者の皆さんが楽しそうに和気藹々と話されているなかで、古木さんは「みんなが幸せであることが嬉しい」と言いました。それにしても、古木さんは疲れないのかと思いました。
   EU・ジャパンフェスト日本委員会事務方のHさんによると、私がお金を落としたことを上げながら、「古木さんもときどき大切なものを忘れる癖がある」と私を気遣いながら「しょうがないですね、その人にしかできない大事な役割が多いから」と言っていました。  

「これだけのことをやり遂げるには、なかなか完璧は難しいのではないでしょうか」と私は答えました。余談ですが、私など家内から「社会性がない」といつも低い評価を受けています。

ところで、今日はこれで終わりではありません。7時から聖キャサリン教会で米子少年合唱団がコンサートに参加するのです。私たちもそこへ移動することになりました。長い 長い一日です。何はともあれ、元気で健康でないと、ついていけませんね。