2010.04.20 
リオシス氏を迎えての晩餐会                  
佐藤賢太郎

3月29日
   明日はアテネに戻る日であります。最後の挨拶にと遠く離れたアマリアーダからリオシス夫妻とバジリス夫妻がわれわれの泊まっているオリンピアホテルにわざわざおいでくださった。

私たちは嬉しかった。既に歓迎会や、本日昼食を一緒にしてくださったのに、またこうして忙しいところおいでくださることに感激した。なかなかできないことです、もし反対の立場であったらどうであろう。私は言葉が十分通じなくても、ここにリオシスの心が感じられました。

今か今かと待ちながら、夜の9時ころ私たちは楽しい夕食をしておりましたところ主賓登場となりました。いよいよ晩餐会です。座席も通訳の景子さんから教えていただいたように座りました。鈴木隆雄さんの尺八、塚原君の横笛による祭囃子の披露。そしてギリシャの小さな旗を振りながら、全員で「ふるさと」合唱をしました。 

このふるさとを景子さんは通訳してくださいました。普通に通訳したあと機転を利かせた彼女は、リオシスにこう言いました「佐藤賢太郎はふるさとに帰ってきた」と。するとリオシスは大喜び、「オー」と感嘆の声を上げました。                 

皆さんそれぞれの役目を果たし、楽しそうでありました。塚原君の持ってきた鉢巻に「それは何ですか?」と言うところから、さらに盛り上がりました。

さて、リオシスさんはなぜ日本が好きなのか話してくださいました。一つ、伝統を重んじるところはギリシャに通じること。二つ、広島や長崎に原爆を落とされ悲劇を味わっている国民である。アメリカは最大に遺憾なことをした。ギリシャも悲劇を味わってきた国である。三つ、黒澤明の映画ビデオを私はすべて持っている。彼の映画が好きである(映画の審査員もしているそうです)。そして、サトウがいて皆さんがいることで、さらに日本が好きになったと言いました。これには全員喜び、拍手喝さいとなった。

相変わらず、話すことがメインのディナーであった。彼の話は続く。「サトウは私の友人である、サトウの友達は私の友人でもある。皆さんは、ありがとう、ありがとうと何度も言うけれど、言わなくていい。私たちは友人であり家族である」

私は思った。こんな旅行はめったにできるものではない。普通ならガイドについて歩き、史跡めぐりで終わってしまうであろう。   

これも奥会津書房の遠藤さんがいてくださり、EUジャパンフェスト日本委員会の縁があったからだと感謝しています。