2014.11.1
「ギリシャ・夢の架け橋」を読んで
森 紘一 

2006年、ギリシャの石彫シンポジウムに招聘されて、佐藤さんが制作した「ゴルゴーナ(融合)」はアテネから西へ約400キロ離れたアマリアーダ市のイオニア海を臨むバルキ港に設置されている。一か月に及ぶ制作過程を綴った「ギリシャからの手紙」は、同年12月に奥会津書房から発行された。

その奮戦日記は文庫版で、リオシス氏をはじめとする人々の描写を含めて、明るい臨場感があふれて面白かった。 

 今回の「ギリシャ・夢の架け橋」(歴史春秋社刊)は、前著とは明らかに違う読みごたえである。版型も四六判と大きくなり、カラー写真を多用したレイアウトやデザインによる効果もあるが、単なる夢物語やサクセスストーリではない、創造の喜びや生きることへの示唆に満ちた、人とひとの絆つくり、国際親善物語となっている。内容の充実ぶりは、8年間の佐藤さんの足跡にほかならない。 

2010年3月末、佐藤さんを団長に13名で「ゴルゴーナ」の見学ツアーに出かけた。その歓迎会の席で、アマリアーダのリオシス副市長は「再度、彫刻作品を作ってほしい」と佐藤さんに要請された。すべての原点はここにある。 

ところが、同年10月佐藤さんに前立腺ガンが発症してしまう。死とむきあった佐藤さんは、肉、魚、酒を断ち、徹底した玄米菜食主義を貫き通すことになる。

一方、ギリシャは経済危機にみまわれ、EU圏の中で孤立状態が続いていく。一般市民の生活は大きな変化もなく落ち着いているというが、アマリアーダやリオシス氏の消息は届かない。都合3年間、ブランク状態となった。 

転機となったのは、2013年2月である。春まだ浅い横浜で佐藤賢太郎講演会が開かれた。「創造に生きる」〜ギリシャとの絆・人、自然との共生〜 と題された講演会の会場は、ギリシャにゆかりのある横浜市大倉山記念館である。思えば、これが「ギリシャ・夢の架け橋」刊行につながるスタートである。それはまた、佐藤さんがガンの食事療法を継続しながら、来年夏、再びギリシャへ旅立つという公約の日ともなった。

幸いというべきか、流石というべきか、同年6月佐藤さんはガン患者学研究所から自助退縮と認定され、『治ったさんバッチ』を頂いた。これまた、横浜でのできごとであった。手術や放射線治療、抗がん剤に頼らない完治である。凡事徹底の意志力の強さは見事に証明された。これを機に、コスモ夢舞台のギリシャ「絆」プロジェクトは、一年後を目指して、EU・ジャパンフェスト日本委員会が推奨するクラウドファンディング(一般の人々に資金を募る)を開始することになる。 

さらに、好運が続く。独)国際交流基金の文化芸術交流海外派遣助成プログラムに応募したところ、助成対象事業として認可をいただき、『佐藤賢太郎「アートと人の絆」ギリシャ講演・彫刻デモンストレーション』という長いタイトルの国際芸術活動というお墨付きを頂いたのである。 

作品完成後の最後には、アマリアーダ市のイリダ州議会から佐藤賢太郎を名誉市民とする議決をいただき、称号が授与された。これはまさに、佐藤さんとリオシス氏との友情の証しであり、日本とギリシャの間に生まれた「絆」つくりそのものへの表彰となる名誉であるとおもう。 

奇しくも、4年ごとのギリシャ行きに倣い、《初代「ゴルゴーナ」と二代目「絆」に会いに行くツアー》を2018年には皆さんで実現したいものですね。