2009.12.

2021.10.10

佐藤賢太郎

私はこの頃朝起きるのが楽しい。それは全焼した工房をアートにするからです。私は毎日忙しく楽しい。これもありがたくも、健康であればこそできます。

よく人は「私はアートが苦手です」と言います。そうではなく、この工房は発想訓練ができます。私は何でもアートにできます。人には「えェ−こんなもの」と言われます。また、「焼けたトタンは捨てるのでしょ」と誰かは言います。とんでもない、もったいない、使います。

例えば石は焼けたら割れます。一つの石が焼けて二つになる。その割れた切断面に私は興味をもち、切断面に絵をかきました。それが私の作品です。また浴槽の目隠しをアートする。抽象的美がある、そこにつくる面白さがある。また、焼けた石がある。生きたという自分の名前を彫る。それを持ち帰ってもいいし、縄文のストーンサークルに設置してもいい、自分の名前の石は永遠に残ります。      

縄文土器は今こそ岡本太郎も芸術というが、縄文時代には芸術、またはアートがあったのだろうか。工房に電気溶接の溶接棒をつまむところがあります。勿論焼けたものです。それ見て「鉄を食べる龍」という作品を作りました。このように何でも作品にしてしまします。作ることは楽しいものです。