2009.12.

2020.4.7
求められるのは下山の心
佐藤賢太郎

 私は以前から過疎は希望とホームページに書いている。人口減少は悪いのだろうか、過疎のどこが悪いのだろうか。
 作家として私はそういうことまで考え、里山アート展やアートフェスタも行うことにしている。特に第2回アートフェスタは、足を痛めながらも実行しようとしている。毎日、開会の日に向けて準備している。勿論楽しいからである。

 私は郷里に戻って14年になる。お金はないが、最高に贅沢な生活をしていると思う。過疎の原因を、人は仕事がないからここを出てゆくと言う。そうではないと思う。生き方の選択であります。
 経済的に日本ほど豊かではないと思われる、来日したブータンの国王が、自分の国を世界一幸福な国と言っていたよう記憶しています。
 安部首相は昨日、新型コロナウイルスに対して緊急事態宣言を出した。今後経済的に深刻な問題になるだろう。

 話を戻しますと、人口が多いと食料問題から戦争も起こるし、人間にとってとても危険な原子力発電も燃料として設置されてきた。
 新型コロナウイルス問題も全て人口が集中して起こる。現代人は科学によって何でも知っているように思うが、「知っていることはほんの少し」と言う方が正しいと私は思います。

 考えてみよう、過疎がそんなに悪いのだろうか。人間は便利さだけを追って幸福になれるのだろうか。
 過疎に住む私は、米を作り、味噌を作り、廃材や山の木を燃料としている。私は母に「米つくりなどしたくない」と中学生の頃言っていた。しかし私は今、無農薬の米を作っている。そしてアートフェスタの会場で寝そべって時間を過ごすことができる。