2012.01.17
『楽』とともに
森 紘一

18日(日曜日)、日没までには少し間がありそうなので、大宮駅東口から歩いて氷川神社へむかった。正月も七草を過ぎて、さすがに人の流れはまばらだが、矢羽根を手にした初詣帰りとおぼしき家族連れなど数組とすれ違った。時刻は、すでに4時を廻っていた。

本殿横のカフェ・ギャラリー「あっぷるはうす」を訪れるのは8年ぶりだった。以前より、佇まいが辺りの聖域に溶け込んでいるように感じられたが、駅からの距離を遠く感じたのは、わたしの老いだろうか。

店主橋さんの変わらない笑顔に迎えられ、『佐藤賢太郎「いのち」の彫刻展』をさっそく鑑賞させていただいた。階段を上がると、右手に鉄平石に彫られた「楽」の文字が飛び込んできた。瞬間、何故かわたしは、その場に釘付けになってしまった。

石にこめられた佐藤さんの想いが、直截響いたのかもしれない。佐藤さんのメッセージを、わたしは言葉として理解したわけではない。しかし、眺めるほどに全身から力がぬけ、ゆったりとした穏やかな気分に充たされていた。

昨年秋、状況はまったく違うのだが、同じような体験をしたことがある。
   9月末から10月初旬にかけて、政府派遣のソ連邦抑留中死亡者慰霊巡拝団に参加した時のことである。ウラジオストックから北へ700キロの地から順次南下し、10月4日アルチョム市郊外の林の中に戦病死したという父親の墓地跡を特定できた。

 欅林の適当な立木に日の丸を広げ、仮設のテーブルに花と果物を並べ追悼式は行われた。当日の気温はおそらく5〜6度だったが、好天に寒さは感じなかった。当地の対象遺族は13名の参加者中3名で、線香の煙に包まれながら全員が合掌し無言で頭を垂れた。

今は亡き母と家族の写真を立てかけたテーブルに、黄ばんだ欅の葉がカサカサと音を立てて舞い降りる。そこにはのどかな静寂があった。極寒と栄養失調に悩まされたであろう往時におもいを馳せながらも、次第に気分は落ち着き、呪いの言葉は失せていた。
   わたし自身60年の歳月を経て、ようやく肩の荷を下ろすことができた満足感に浸っていた。

   佐藤さんの『楽』には、明るくたくましい生命力を感じる。恨みや憎しみを超える
もっと大きな、授かった命への感謝の気持ちが表現されている。
   『楽』とともに、わたしもこれからの日々を、より実りあるものにしていきたいとおもう。