2009.12.

2020.9.28
最後まで使う
佐藤賢太郎

 縄文人は山や木や岩、水などすべてに魂があると思っていたようだ。だから、私は里山アートの作品は最後まで命あるものとして使うことにしている。神社の朽ち果てた縁側の板が、我が家に運ばれてきた。釘のない厚い板を燃やしてくれと言っていた。
 しばらく板を置いておくと、これは里山アート展の作品材料に使えるのではないと思った。そして廃材とした障子戸があった。それと組み合わせてみた。私はその品は面白いと感じた。それは日本橋高島屋に出品する作品と全く違うのです。看板としてワサイカンと彫ってみた。それを杉林に看板としておいてみた。ところが草で見えないので、今度は草刈り。坂を上ったり下りたりしました。こんなこと誰もしていないので勇気がいるのです。
 里山アート展会場とは違います。でも、そうして継続するならだれでも普通に感じるものです。