2009.12.

2020.12.30
佐原元 医師との出逢い
佐藤賢太郎(喜多方高校卒業 彫刻家)

 私が関東に住んでいたころであります、日本橋高島屋個展に佐原元先生が奥様と一緒にお見えになった。そして2点作品をお買い上げになった。フクロウと縄文の作品である。確か奥様が「これいい」と決まったような記憶があります。その作品は、長く表に出てこなかった。 月日がたち2006年、私はギリシャに招聘され作品を制作して設置した。ギリシャ紀行文を私が書きました。仲間はそれを確かめようとギリシャに共に行った。その時、私をアマリアーダ地方の名誉市民にするのでギリシャに来て彫刻を作らないかと、副市長リオシスさんからもちかけられた。私は面白いから行くことにした。

 その時2014年、佐原元先生は手伝いに行くといって仲間と共にギリシャに来られた。手伝いというのではなく、ギリシャの旅である。私は現地で必死の制作であった。ギリシャの渡航費を寄付してくれた人の名前を台座に刻みました。彫刻の台座に佐原元と彫りました。
 それからしばらくったって今年、母校の喜多方高校にお世話になったことと、喜多方応援大使として作品を寄贈することにした。この時の喜多方市の市長さんは芸術に理解のある遠藤忠一さんで、実現できました。その除幕式に私は佐原先生をご招待した。私はこのチャンスと思った。
 佐原病院には私の作品が2点あり、それを表舞台に出すことを勧めた。そして私は取り付けに、2度佐原病院に通った。作品名フクロウの「なかよし」は私がつけましたが、もう1点特別に台座を作った。そのタイトルは「希望」と佐原先生がつけました。

 私はガンになったが手術もせず、抗がん剤も使わず治した経験から、がんの原因はストレスにあると思う。この時も先生は大切なことを二つ言いました。一つは患者を治すのは神であって、医師でない。医師は神の手伝いをしているが、わからないことで一杯である。
 もう一つ、佐原先生が経営する山都に案内された。私が中庭を見るためであった。私が庭づくりに着手するかどうかは話し合いによるものとして、これだけの人をまとめるのは人望が必要である。それを話し合えたのが良かった。このような医師に出会えたことが嬉しかった。それを象徴する文字を石に彫り、プレゼントしたいと思う。