2009.12.

2002.8.20
豊実の夏
森紘一

 久しぶりの豊実は降ったり止んだりの雨模様。うち続く豪雨と猛暑で水かさのました阿賀野川は、滔々と流れるいつもの風情はなく、ドブ池のようだった。
 「お帰りなさあい!」。和彩館のマキ子さんはいつもと同じ明るい声だった。

縄文広場の竪穴式住居の一棟目がほぼ完成したことで、急遽お盆明けの8月18日に開催されたイベント“縄文の祭典”(土器・土偶のテラコッタつくりや佐藤さんの講話会)には各地から15名の皆さんが参集した。
 ウーファーのオーストラリア人は帰省された後だったが、ブッキング・ドットコムで立ち寄られた多摩美大の女子学生が活動されていた。千葉県の野田ナンバーでご来訪のご夫妻やご婦人グループの団体など参加者は多士済々で、あちらこちらと雨漏りのする竪穴式住居の講話会は、笑い声が絶えなかった。終了後、晴れ間を見て立ち上がった皆さんの表情は晴ればれとしていた。
 「私もここまでやってきました。ともかく死ぬまで夢を忘れないことです」佐藤さんの淡々とした語り口は、皆さんをとらえたようです。

 この夜はマキ子さん手づくりの料理が並び、和気あいあいの宴となった。お互いの元気を確認しながら会話もはずみ、明日への活力につながる一夜となった。
 一時、DVDに収められた我われの活動が大型のTV画面に流された。映像は懐かしい思い出の数々だが、初めて見る皆さんにとっても分かりやすいコスモ夢舞台の案内ガイドになっているようだった。「記録に残しておいてよかったね」、そんな声がもれました。

  翌19日(金)は、朝から素晴らしい夏空だった。今年の秋は「里山アート展」が19回目の開催となる。我われ東京ブロックの仲間もそれぞれに作品つくりにとりかかった。それにしても縄文広場は広い、整備もこれからである。草刈にしても、半端な面積ではない。引き続き外部の皆さんにも、お力添え、ご協力をお願い申し上げる次第です。

 11時までの作業時間で今回は終了し、昼食後、我われも帰り仕度となった。佐藤さんとマキ子さんの体力・気力には遠く及ばないが、コロナや熱中症に十分注意しながら、我われも元気に実りの秋を迎えていきたい。そんな思いを強くかみしめる豊実の夏でした。