2009.12.

2022.3.8
私の場合
佐藤賢太郎

 作家として生きることは非常に難しい。才能はもちろんですが、人間関係が良好であること。私は美術大学ではなく工業大学出身で、全国に作品を設置。そしてギリシャにまであります。しかもご当地の名誉市民になった。それを確かめようと友人はギリシャまでお出でになった。

小野小町像を作り喜多方市に寄贈した。私は彫刻家として異色であったかもしれない。才能とは何だろう?

私は肉体が落ちましたが今なお現役、今年私は祖先が残した土地に縄文竪穴式住居をつくります。夢です、夢と言っても実現する夢です。

 修行中、師匠が私に言いました「彫刻家になるのは才能がいる」「健康であること、夢があること、そしてどんな作品を創るか?」   

健康とか夢は「誰でもあるもの」と、その時私は思った。健康、夢を持ち続けることがいかに難しいか。それに加えて私は人間関係、運と言いたい。

才能がない私に「彫刻家になる前に人間になりなさい」と言われた。今になる前に真剣に実践倫理を学んだ。それが正解であった気がする。