2017.04.02
母校での講演会
佐藤賢太郎 

私が母校で講演をするのは確からしい。誰にでもできることではない。しかし、私も動き始めた。一歩を踏み出すことは難しいと思います。 

私が所属していたラグビー部のOBが私の田舎に来て一杯飲みたいと言っている、と大塚さんから電話がかかってきたのがきっかけです。即座に私は「ただ飲みに来るのなら遠慮する。私の今の生き方、郷里での活動を知って頂かないと嫌です」と言った。

母校で私が講演をする、そこで今の活動を知って頂き、それができれば、豊実に来て頂いてもいいと思いました。

私がしたいからするのではなく、あくまでも大塚秀夫さんから動かされたというのが正直なところです。 

言葉では簡単に言えますが、実施するとなると大変な苦労があります。タイトルはどうするか、芝浦工大の名誉、ラグビー部の名誉、コスモ夢舞台の名誉を傷つけない講演内容で、みんなに納得していただける内容でなければなりません。大体、講演タイトルも決まっていないのに動いてしまう大塚さんです。本当にやる気があるのか何度も聞き返しました。「私はただ話すだけで、準備はあなたがする。それで、大丈夫ですか?」そう言いました。

大学側が許可したと言います。幸い私の事は広報課で知っていたと言います。本当にやるのだと思いました。

次に大学が許可しても、大塚さんがOBを説得できるかどうかが最大の関門です。そしてコスモ夢舞台の会員が、この講演に納得するかどうかです。その上、元芝浦工大学長の登壇まで考えましたが、都合によりそれはできませんでした。

私は大学時代優秀な学生ではありませんでした。ましてノーベル賞や芥川賞受賞作家ではなく、オリンピックメダリストでもない私が母校で講演するのは無理な話です。ただ思うことは、私が彫刻家になりたいう希望を抱いた時と同じようなものです。やるかどうかという意志の問題です。利口な人はしないでしょう。バカになって取り組むことができるかどうかがポイントです。これでは順序が逆ですが、これから大塚さんは大学側に企画書を出すそうです。

この講演開催は度胸も要りますが、今まで積み重ねたもろもろの実績がものをいうと思います。二度とない人生を楽しむことにします。

2009.12.