2009.12.

2014.11.04
講演会を終えて1
佐藤賢太郎 

わたしも人生の後半を迎えてきましたので、これまでのいろいろな経験をもとに「生きること」や「人生を輝かせる」ことについて感じていることを述べてみます。 

人間、生命を与えられて生きていける時間は限られています。その限られている時間をどう生きていくか。今年、私は「人生を輝かせる」というテーマで講演し、新潟県民会館で終了しました。講演会の後、スタッフ一同の反省会で「来年もやりましょう」という声がありました。しかし、帰宅して今までになく疲労に襲われました。その疲労感は、これで今年の仕事は全て終わったという気持ちもあったのですが、私の予想と違ったからかもしれません。今年のように参加者が少なくては、新潟ではとても開催できそうもないと思いました。昨年とは参加人数が半減したからです。 

しかし、後日考えました。大勢が集まる講演会は、聞いてくださる方がいてこそ成り立つのであります。私は芥川賞受賞作家でもなく、ノーベル賞受賞者、文化勲章受章者でもなく、スポーツやタレントなどの有名人でもありません、一体誰が聞いてくださるのか。

昨年は、私の所属している朝起会の知り合いの方が来てくださったからできたのです。それも、私が歩いてきた人間関係の足跡です。それだって、なんの拘束力もなく、私に対する個人の好き嫌いの評価であり、参加するかどうかは個人の自由です。コスモ夢舞台の会員でも同じだと思います。自分にとって価値を感じるかどうかです。

昨年は埼玉、新潟でも200名以上参加して応援をいただいたのですが、今年はその半分にも満たなかった。なぜなのだろう? さまざまな要因があるだろう。誰しも、一回目は興味がありますが、二回目となると新鮮実がなくなる。などなど、そんなこともあるかと勝手に思いました。

 では、どうすれば三回目の開催は可能になるだろう。価値観やお互いの利害を共有できるような、新鮮で面白い講演であれば、確実に人は集まるのだろうか。

ところで、誰しも共通しているのは、自分の人生を幸せにしたいということ。そして感動ある生き方をすることです。それを得るためには、お金を得ること、地位、名声を得ること、健康であることなどがあげられます。しかし、そんなに安易に幸せは手に入りません。さらに感動ある生き方となると、金や名声だけではどうにもなりません。

幸せに生きるにはまず健康であること、それには節制して、それなりの努力がいるのです。勝ち組に残るとか、自分だけの幸せを手に入れるだけでは、感動を得ることはできません。我も人もの幸せを視野に入れることが絶対必要だと思います。 

人はそれぞれ、あらゆるところで勉強していると思います。しかし、それは知識として終わっていてはいないか、自己満足していないか、と私は思います。応用できてこそ、感動する生き方ができるのでないかと思います。しかも主体性をもって、いなければ自分が輝かないと思うのです。