“佐藤賢太郎・二葉滋 二人展”とトークショーに思うこと
後ずさる赤犬の牽引力は遠吠えよりも強し
(籾殻炭アートワークの提案)
吉田富久一

 展覧会初日、賢太郎さんは「今は、肉も魚も食べず酒も呑まない。食すのは玄米のみだ」と切り出した。「会期中は三食玄米食をつくってくれる春日部の友人宅に滞在している」と自慢そうに言う。さらに「これからも好きな彫刻と好きな油絵を、好きなようにつくるつもりだ」と、半ば自分自身に言い聞かせるように語る。

 この日も笑顔には変わりないが、何時もと少し違い控えめであり、我々からの語りかけを待っているようにも思えた。

 同行した長谷川千賀子が「近年は医療のめまぐるしい進歩があること。そして人間は不思議な生き物で、回復の意思を持っていると治癒力が働く」と捲し立てるように力説する。

 賢太郎さんが病に悩んでいたことは彼方此方で耳にしてはいたが、私にとってはそのことよりも、本人が今更に生き方の確認をしていることの方が興味深い。

 視線を泳がすと、賢太郎さんの肩越しに赤い石でつくられた彫刻が見えた。 

 聞けば、飼い犬が布切れを引っ張って戯れる様子を作品にしたそうだ。ぐいぐい、ぐいぐいと後ずさりしていく犬の力強い姿勢に引き寄せられ、その前に立ったときに、賢太郎さんが変わったことの意味が少し解けたように思えた。

 それは、彼が里に戻る覚悟をしたときからはじまり、荒れ地の開墾し、里山アート展の活動を軌道に乗せ、田んぼ夢舞台祭りで地域のひとたちとの恊働が定着しはじめたことで大きく広がりをもってきた。そして、共に歩んできたフクロウ会の人たちと協力してコスモ夢舞台をNPOに移行したことで自信が得られていた。確かな手応えから、病を後ろ向きに捉えずに、これからがコスモ夢舞台の本格的稼動のときと確信されたのだろう。

 今までのように前へ出て戦車のごとく牽引するのではなく、一歩引いていても、集まってくる仲間の一人一人を活かしながらでもやっていける。雪に埋もれた豊実のアトリエで身体をいたわりながら制作をすすめることで根源を再点検した展望に違いない。私にはそうした意志が、布をくわえて後方へ力強く引っ張る犬の姿勢と重なって見えたのだ。

 すると、活動や制作だけでなく農事も玄米食も、豊実の住民も埼玉や東京の仲間たちも、病の身さえも含めて、すべてが「循環再生のアート」に括られてくるように思えてきた。何もいまさら我々が励ますまでもなく、賢太郎さんは十分に自覚してはいたが、ただこの展覧会でそのことの確認を我々に求めたのだろう。そうすることが病を克服する何よりも一番の特効薬と思える。

 二人展の相方、二葉滋氏は二葉陶房を主宰し、宝塚市に独力で五袋の登り窯を築き陶作に励んでいるらしい。展示された陶器作品の隙間に、その窯の写された一葉の写真が慎ましく置いてあった。

 我々が賢太郎さんと会場のソファーで次の里山アート展での「籾殻炭アースワーク計画」の話題をはじめると、彼は興味を示し同席してきた。

 「籾殻炭アースワーク計画」は、昨年の里山アート展の会期中、賢太郎さんが田圃で籾殻を燃やし続けた「里山の香り」(コスモ夢舞台Vol.3 p.7参照)をヒントに、長谷川と吉田で提案した。

 焼け跡が白い灰ではなく、黒い炭になっていたことに気づいた。これは不思議、炭窯を使わず露天で炭化がなされている。ならば、籾殻の山に炭材や粘土器等を偲ばせておけば、火を放ち放置しておくだけで籾殻の炭化と一緒に素焼も炭焼きもなせるはずである。

 帰省してから幾度か籾殻焼き実験を繰り返し、焼けることを確認した。
 コツは、籾殻山の天辺に着火させること。着火しさえすれば、順次下方の籾殻へ熱が伝わり、炭化がすすむ。このとき上方の気流は熱の対流を起こすが、炭材の籾殻はその下に在るのでこれに巻き込まれず、しかも籾殻自体が蓋となり酸素の供給が絶たれた状態であり熱伝導のみがなされる。無酸素で熱伝導する現象は、まるで龍の仕業のように不思議だが、蒸し焼きと思えば合点されるだろう。

 逆に、着火点を下方に設けると、熱の伝達と気流の上昇とが同時になされ酸素が供給されて燃焼(酸化)しまうので、籾殻は全て灰になる。

 そこで今年の里山アート展では、参加者の方々に焼きたい素材を持ち寄っていただき、初日に籾殻の山にそれらを入れ込み着火、最終日(炭化が終了し冷却していればよい)に焼け跡から焼成された作品を取り出すことを提案した。里山アート展参加者と地域の方々を交えた共同作品として、メインの作品にしようという考えである。皆様には是非とも参加していただきたい。籾殻炭焼きと籾殻燃やしの両方を試してみましょう。

 灰の一部は、最終日に吊り橋の上から阿賀野川に蒔き、酸性化のすすむ河川の中和をパフォーマンスする。もちろん、あとに残った炭も灰も土と混ぜ耕されれば田圃の肥料となり、来期も旨い米が収穫される。籾殻炭アースワークは、循環再生のアートに相応しいと考えた。

註:
 籾殻炭アースワークには、芸術を進めていく上での重要なファクターが隠されている。共にひとつの創造行為に携わることで創造性ある信頼が生まれる。これこそがソーシャル・キャピタルである。さらに、創造的な発想を持つことによって、人々の生活を支える産業までも編み出せるかもしれない。我々社会芸術では形骸化した芸術作品の多産を求めるのではなく、芸術の創造性が社会貢献する力を発揮できると考える。

 話題は籾殻炭の成焼法から肥料としての効用と処理法へと、炭焼窯と陶芸窯の違いへと展開した。素焼きから炭粘土の開発へ、粘土素材へと戻ったとき、すかさず賢太郎さんが「豊実から粘土が出たら面白い」と発言。すると、二葉氏は「粘土は日本全域にあり得るし、粘土ならば焼き締めることができる」と言い出した。

 そこで直感したことあり。この御方、循環再生アートへの参加に相応しく、10月に豊実で再会できるのではないかと。田圃で籾殻の山に自作を埋め込み、ほのかに燻る籾殻炭アースワークを前に立ち微笑んでいる姿を想像した。

 二人が何の因果で展覧会を開くのかと問うと、大学時代(芝浦工大)の同期、同じラグビー部に所属しながら、後に学究とはまったく別の道を歩んだ異色の芸術家同士だという。何十年かの間を置き再会し二人展の開催となった因果は、同じ時空を共有し行動を共にする必然があるのかもしれないと。

 すると間もなく、申し合わせた訳でもないのに、里山アート展に出品している作家たちが次々と会場に引き寄せられて来た。

 一日置いてギャラリートークの日。会場からはみ出さんばかりに集まったのは、言うまでもなくフクロウ会のメンバーを中心にした賢太郎さんを慕う人たちである。大塚秀夫氏の司会進行により佐藤氏と二葉氏の対談では、知られざる賢太郎さんの過去帳が紐解かれ、我々聴衆を豊かに包み込んでくれた。

 さらに、この大人数がこぞって二次会の宴席に着くと、ひとり一言の挨拶の順番待ちを楽しむように、それぞれが由々しくメッセージを述べる。誰もが想い思うことを勇んで言葉に出したくなるようだ。

 この犬(賢)、後ずさりしていく姿勢であると言うわりには、なんと力強い牽引力の持ち主ではないだろうか。今年も10月の豊実が待ち遠しい。