2010.02.15 
個展の日々1
佐藤賢太郎 

3年ぶりに、日本橋髙島屋での4回目の個展であった。4回目にして初めて、美術画廊での開催となった。おもえば、豊実に移り住んで初めての日本橋髙島屋での個展でもあった。振り返りとそこには感慨深いものがある。私は大作家ではないが、多くの方々に支えられている作家であるとしみじみ思う。ありがたくも、会期中9日間すべて友人知人の家に泊めていただき画廊に通った。

前回の個展では、チェーンブロックを入れて設営が大掛かりであった。今回はそれほど大きい作品はなかったが、二人の友人に手伝っていただくことになった。このように作品を買っていただき、搬入の手伝いをしてくださることに画廊の方は驚いている。搬入で思い出すのは彫刻家としてはじめての個展では、家内と石の作品を持ち上げて階段を運んだ、これが60歳になったときのことを思うと悲壮感にとらわれた。そのことを思うと今は天国のようなものです。

さてこの個展期間中いろいろな方とお会いできました。それは人生の走馬灯のように思えた。初日、ふるさとで小学校から幼馴染の女性が花を持っておいでくださった。この方は詩を書いて自費出版までしている私の良き理解者である。その方に私は、「昔あなたが入った田んぼが、今は里山アート展の会場ですが、そこであなたの詩を朗読してください。そしてコスモ夢舞台の冊子にも、あなたの詩を書いてください」と頼んでみた。個展は作品を見せるだけの場所ではなく、人とひとの思い出を結ぶ場でもあると思った。

関東で出会ったTさんは個展の度に初日においでくださり、作品を求めてくださっている。食事をいただきながら政治談議にも花が咲く。この方もやはり私を支えてくださっている一人である。

コレクターといえばもうひとり、個展のとき必ず作品を買ってくださる方もお見えになった。一体何点になるのだろう。毎回期待してしまうが、今回はお付き合いということで一点求めていただいた。本当にこれが欲しいというものがなかったのかもしれない。この方とは幼馴染ではなく、思考も同じではないがどこに接点があるのだろう。髙島屋の個展を通じて、作品を気に入っていただいた方である。とても作品を大事にしてくださいますが、「私があの世に行ったら作品はあなたに差し上げたい」とおっしゃるのです。  

このような方々の支えで、私は作家活動を続けていられるのです。