2010.02.19
個展の日々5
佐藤賢太郎

個展はいろんな方とお会いするので制作のときより疲れる。人間関係が良いということの必要条件は、上機嫌、明るいことだと思うこのごろです。今まで書いた「個展の日々」は、すべて上機嫌を書いてきました。それは相手がそうさせてくださるから私は上機嫌でいられるので、周りの方が素晴らしいのです。と家内はいつも私に忠告する。

さて、ギャラリートークのとき来ていただきたいと思っている方がなかなか現れない。忙しいからだと推察できても、理由が分からず、どうしたのだろうと思ってしまった。応援していただいているEU・ジャパンフェスト日本委員会の古木さんたちが見えないのが気がかりでした。後日、古木さんは忙しいなか、トルコ人をお連れになり再度お越しいただいた。通訳していただきながら(アートは人と人国と国をつなぐ架け橋)そんなことを、ほんの少しアートに対する思いを話すことができました。

高校時代の同級生が来てくださった。帰りに近くの料理店で一杯飲んだ。そのとき私に服装のアドバイス(?)をしてくれた。「お前にネクタイは似合わない。作務衣を着ていたほうが田舎っぽくて似合う」という。私は「今日、ここで個展が出来るのは、べつに服装でやれるのではない、余計なお世話」と受け入れる気持ちがなかった。そこで「それはあなたの考えでしょう」と言った。同級生は私にことを心配してくれてのアドバイスだろうか 。私はこのときは上機嫌でなかった。

ところで予定外の市役所に勤務するKさん宅に泊めていただくことになった。こちらのお宅からは、コスモ夢舞台の建築資材に古い戸やさまざまいただいていました。また、新潟三越で個展を開催したとき、ありがたいことに私の父(脳梗塞で車椅子を使用中)をこの方が画廊まで連れてきてくださった。                

夜はご家族の方々と、そしてKさんの同僚の方も呼ばれて楽しい宴会となった。蓮田に夢をつくろうという話をした。Kさんにも夢があってそれを実現しようとしていたが、佐藤さんの話は面白いと上機嫌であった。ありがたい宿泊体験であった。

90歳になる私の初期からのコレクターの方もお出でになった。しみじみと人生模様や身の上話を聞かせていただきました。         

また、今日までお世話になった大勢の方々に案内状を出させていただきましたが、お見えになれない方も多かったです。彫刻家になって以来私も変わり相手も変わる。過去、現在と出会ったさまざまな方々が走馬灯のように浮かびました。これから生きていれば3年後、またお会いする時は、どんな形で対面することになるのだろうか。まだまだ、人生劇場は続いてゆく。