2011.03.22
大震災に私は思う2
佐藤賢太郎

現状

今はただ衣食住を確保し、生き延びることだけが被災者にとって当面の課題であろうと思う。多くの犠牲者が出た。命をなくされた方、その遺族の方々の心痛は計り知れない。被災に合われた方々にしても、困難な生活を強いられています。

3月11日の大地震、津波によって、それまでの平和な暮らしは吹っ飛んでしまった。住み慣れた土地を離れ、ある人びとは体育館で暮らす生活になった。どれだけ困難な生き方を強いられているのだろうか。

EU・ジャパンフェスト日本委員会を始め、多くの方々が支援活動に動いている。被災者同士も助け合って生きている。被災者の中学生がボランティアで頑張っている姿もテレビで見る。それらはみんな人間として美しく、正しい生き方で、うれしい限りです。

今後に思う

こんなとき何を言うかと誤解されては困りますが、私はこの大震災に遭遇し、これから先の日本に想いを馳せています。

東京で大地震や津波が起こったらどうであったろう。その可能性もありうるのです。
 日本は戦後復興でともかく物質的豊かさを求めて、欧米に追いつき追い越せと走ってきたように思う。夢と希望があり明るさはあったが、その後の展望がなかったのではないか。日本人として人間として、美しく生きるということを忘れていたように思う。

私は戦前の日本を全面的に肯定しているわけでありませんが、戦後GHQによってあらゆる価値観を否定され、いつの間にか日本人は大切なものをすっかり忘れてしまった。

経済的豊かさを求め、それを手にすることはできたが、日本社会は倫理的規範が失われ、犯罪も多発し負の遺産が山積されています。
 そんな経済大国といわれる日本で、未曾有の大地震が起こりました。

被災者はおそらく以前の生活に戻れない方も多いと思う。個人だけではなく日本自身もそうだと思う。見方によれば、この大地震で否応なしに生き方を変える機会を与えられたのかもしれない。

変えなければと思っていても、自力で変えるのは難しいのが現実です。日本はこの国難をチャンスに変えて、戦後立ち直ったその精神力で逞しく立ち上がってほしいものである。

今こそ見直し

 人類有史の歴史は秩序と混沌の時計の振り子のように動いてきたようです。混沌が何時までもそのままではなく、秩序がうまれる。
 しかし、その秩序も古くなると混沌となります。今もその歴史が目に見えるように世界は展開している。

 日本でもマネーゲームのように富を得る生き方がほめられた時もあった。今もそうした人間たちもいるのだろう。
 しかしそれは自然の法則からは外れた生き方なのだろう。

今回、原子力発電所は大きな負の遺産とみんなが確認しました。
 人類は効率だけを目指してはいけないのです。シンプルな生き方、純情素朴な生き方、人と人が助けあう生き方、宇宙の大自然の摂理に従って生きることが大切なのではないか、と私は思う。

見えるものだけを信じている現代人は、それを見直す必要があるのではないだろうか。困難な中でこそ見えてくるのもがある。命の瀬戸際に立った人だからこそ感じ取れることもあります。

 酷なことを言うようですが、私はこんな風に思うのです。今までの生活価値観を見直すことによって、新しい生き方が見え、共生する喜びも湧いてくるのではないでしょうか。